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2015/12/29

あやめ十八番ワークショップオーディションを見学しました

昨日はあやめ十八番ワークショップ(WS)オーディションの見学に伺いました。
花組芝居の役者、堀越涼さんが主宰、作・演出する演劇ユニットあやめ十八番の次回公演出演者選出オーディションを兼ねたWSです。
WSに見学者がいるのは結構珍しいことと思うのですが、見る側の人間である私もいろいろ考えることができた貴重な時間でした。

ちなみに私があやめのWSにお邪魔するのは……今度で5回目らしい(笑)。(←結構来てた)
1回目がコチラ、2回目がコチラ、3回目がコチラ、4回目がコチラ。なので1年ぶりくらいの参加でした。ワークショップの流れとかは前回などのブログを参照のこと。

はじめの20分くらい、堀越さんが劇団の目的、目指すものをだーっと語ります(不思議な体の動きしてるなー、と思ったのですが、そうするとリラックスして喋れるよ、の実例らしい)。その「圧」が強い。で、自己紹介、各組に分かれて堀越さんのオリジナル台本の一部を演じて演出をつける、最後に全組の発表。この回では来年5月に再演される『江戸系諏訪御寮』の中の夫婦の会話を演じました。


堀越さんが考えるリアルな芝居にたどり着くまでの過程を見せてもらいました。
ちょうど何日か前に『ドッグファイト』を見て、自分は芝居の何を見てリアリティを感じるのか、ということを考えていたので(←このことは、一つ前のブログの最後の方に書きました)、自分的にはタイムリーに見学させてもらった気がします。

「演技をしていないところを見せる。そのためにはテクニックが必要」
ということで、ナマなリアルさでなくて「見世物としてのリアル」を見せるためにはどうしたらいいか。

相手役との台詞の受け渡し方や台詞が聞こえるかどうか、などの具体的なことから、「なんかぐっと来ない」とかいうのまで、いろんなアドバイスをしながら引き出していこうとします。元々役者さんでいらっしゃるから、非常に実践的なアドバイスが出せるんですね。
あと、印象に残ったのは「この会話中に何も起こらないように見えて、その中で感情がボンボン爆発するものが見たい」ということかな。

芝居がなんでリアルでないといけないかというと、それは見る人にとって舞台で演じられていることが絵空事でなく、その場を共有する、共感する、追体験するようでないといけないということで。そういう共感性を大事に作ってらっしゃるんだなと思います。

そしてコミュニケーションするということ。「こうしたら?」という演出に対して、いかに柔軟になれるか。役者は変化し続けるのが仕事……と堀越さんはおっしゃってましたが、演じている役者さん同士のコミュニケーション、のみならず、演出家対役者のコミュニケーション、さらには演者対観客のコミュニケーションを取ることを大事にしてらっしゃるんだなと思います。(演者対観客のコミュニケーション、という視点で、WSの見学者を入れてるんだな、とも)
そういう意味では、役者さん、のみながらず見学者も含め全方向とコミュニケーションを取るスタイルでやってらっしゃるWSなので、、堀越さん、身を削ってるなあ、渾身だなあ……と思います。私は一見学者にすぎないけれども、参加者の方たちが何か心にさざ波を残して帰っていってほしいなあ、と願う。


役者さんもそうだけれども、観客の立場としても「このスタイルはダメ」とかじゃなく、これもアリと受け止めて柔軟に面白がることができる心が必要だし、そうすることが舞台と客席との一体化を生むんだな、と改めて思いました。

WSは本日で終了。次回公演は5月27日~6月5日、『江戸系 諏訪御寮(再演)』『ゲイシャパラソル(新作)』の二本立て。

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シアタークリエ『ドッグファイト』

シアタークリエでオフブロードウェイミュージカル『ドッグファイト』を観劇。
1960年代の若者の恋を描く、と同時に、ベトナム戦争という背景が色濃く絡む。複雑にいろいろな感情を呼び起こされる佳作だった。

タイトルになっている「ドッグファイト」というのは、アメリカ海兵隊員が入隊前夜、女性を連れてパーティを開くという習慣。そのパーティは実は賭けとなっていて、「一番不細工な女の子を連れてきた人が勝ち」……という、なんとも人道的にひどい(許せない)もの。
ただ、こんなにも非道なことをなぜやるか……というと、戦場という非常事態に赴く前のある種「異常」な精神を高めるための「儀式」なんだという。

三人組の海兵隊員(屋良朝幸、中河内雅貴、矢崎広)のうちの一人、エディ(屋良)が選んだ女の子ローズ(宮澤エマ←ラフルアー宮澤エマから改名)。はじめは「不細工だから」という理由で選んだローズだったけれど、やがてエディは本当にローズに惹かれ、良心の呵責が芽生え始める。

女性としては正直、ちょっと見ていて胸苦しくなるような設定の話なのだけれど、そういうものをすべて吹き飛ばすのが宮澤エマさんが作り出すローズの造形。初めてパーティに誘われて、「何を着ていこうか」という昂りと緊張、喜びのあいまじった感情を見せるシーンが、なんとも瑞々しい。それだけに、「ドッグファイト」の意味を知った後のローズの怒りと切なさを歌う1幕ラストが非常に圧巻だった。もちろん歌唱力が十分におありなのだけれど、それ以上に宮澤エマさんの素晴らしいところが演技に共感力が強いところ。ローズの心の波に同調して、私も共に心の旅をしているようだった。

そして、海兵隊員エディの屋良さんもナイーブに動く心情を見せて、ローズとの出会いから彼が変わっていく様子を繊細に見せてくれた。

しかし、彼らの初々しい恋は、エディらがベトナム戦争に行くことでむなしく砕け散る……。

これは非常に繊細に作られた戯曲でもあって。エディの仲間役の中河内さん、矢崎さんがきちんと作品の意図をくみ取って、普通の青年としての部分、そして、「戦争」という非常事態を前にして人間の「タガ」が外れてしまっている部分の両面をしっかり見せてくれていたのが印象的だ。

誰もが経験あるような、恋も若い感情もそのまま見せてくれるミュージカル。であると同時に、人が人を殺す「戦争」の前には人間としての普通の思いはいかにもろく崩れ去ってしまうものなのか、という強いテーマも突き付けられる。終わった後に深い余韻を残す作品だった。


※最後に、ちょっと話が作品についてとはそれるかもしれませんが…。
作品冒頭からずっとリアリティを感じながら(時には、ローズの心情に同調して涙しながら)見ていたのだけど、私にはふっとリアルさが抜けたように感じられたのはベトナム戦争の戦闘シーンで…。
もちろん役者さんは本当に真剣にやってらっしゃるのは十分感じた上で。

これは何年か前にニューヨークで『アメリカン・イディオット』を見たときの経験がそうさせているのかもしれないけれど。『アメリカン・イディオット』ではやはり、主人公の一人が戦争(おそらくは湾岸戦争)に志願して、戦闘で負傷し足を失うというシーンがあるのだけど、ここの戦闘シーンのあまりの迫真ぶりが本当に怖いほどで、私は見ていて衝撃を受けたので。アメリカはご存知の通り軍隊がある国で、自分は戦争に行かなくても、自分の友達や兄弟、身近な人が軍人だったりするだろう。役者さんに「戦争で戦う」ということのイメージが明確だから、ミュージカルの一場面であってもそれが再現され、追体験されるようなものになるのだろうなと感じる。
逆に言うと、戦争シーンがリアルにならないことは、日本の幸せさを象徴しているのかもしれないし、もしかして、舞台の戦闘シーンが本当にリアルになったときは、日本もヤバイときなのかもしれないけれども。

舞台もまた社会の縮図であり、現実を移す鏡なのだな、とも思うが、何がリアルか、舞台の上でのリアリティとは何か、ということも改めて考えてみた(結論は出てませんが)。


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2015/12/17

花組芝居『毛皮のマリー』梅組初日雑感

『毛皮のマリー』初日公演を観劇。ダブルキャストのうちの梅組。

寺山修司さん生誕80年を記念する公演が出揃う中で、実験浄瑠璃劇と銘打つ花組版は一番異色な公演かも。全編、完全に歌舞伎の下座の様式で義太夫が入る。浄瑠璃劇ってどうなんだろうか、と見る前は思ったのだけれど、実際見てみると寺山さんの見世物小屋的な世界観をより広げて見せるという意味でぴったりなのだなと思う。

「見世物」といえば、工夫を凝らした美術も表現も秀逸。はさみもかみそりなども異常に大きくなっているというのも、この作品が描いている「ひずみ」にはぴったりなものなのだろう。欣也の蝶々の標本を裃つけた役者が表したり。
一番印象に残ったのは、欣也の部屋。あれはたぶん、渋谷にあった天井桟敷館のイメージなのだろうと思うが(さすがの私も実物は見てなくて、写真でしか知らないけど)、あれをオープンリールのテープレコーダーにする発想に驚いた。

そんな「歪んだ」世界で繰り広げられるのが、「表面は嘘、だけれども中身はホント」という人たちの軋轢。顔だけ白塗り(首とか背中とかは塗ってない)というのに初め驚き、後には表面の嘘の仮面のようにも見えて面白く。もともと男性だけで演じるように書かれている戯曲ということだが、現実にはない架空の存在である「女形」を擁する男性だけの劇団・花組芝居が演じることで、「嘘と真実」というテーマがより明確に浮かび上がってくる。

異常なほど肥大化した愛情を見せる男娼マリーを梅組では谷山知宏さんが演じて、美輪明宏さんとはまた違うアプローチと表現で面白かった(終幕は切ない)。美少年欣也は丸川敬之さん。意外(?)と真っ当に美少年に見えて、そこもなんだか物語の架空性を際立たせる。美少女紋白は堀越涼さんで、男女を行き来するアンドロギュヌス的な作りなのが面白い。(紋白が地平線を書くくだりの台詞が美しいんですね。何度か見てる作品だけど初めて気づきました)原川浩明さんの下男は麿赤兒風。

演劇的な「嘘」の世界にどっぷり浸って、目も心も刺激を受けた2時間15分。「現実」から一番遠いところにあるからこそ、「真実」が見えてくるような、そんな作品でした。昨日初日なので、今日のところはざっくりとした感じで。菊組を見たらまた書きます。

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