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2015/08/10

花組HON-YOMI芝居『かもめ』(花組芝居)

8月8日ソワレで観劇。初めて『かもめ』の全容に触れた、と思った。もちろんチェーホフの『かもめ』は今まで何度も見ているけれど、正直に言うとすごく惹かれる題材ではなかった。11年前の花組芝居のリーディング公演(HON-YOMI芝居という)は見られなかったので、花組版としても今回初見。4幕の長尺を1時間25分に凝縮して見せているから……ということだけでなく、各登場人物の心のベクトルが克明に伝わってきて、その心模様が私には非常に面白かったのだ。

花組芝居のアトリエでの公演なので、ステージと客席は同じ平面で、アクティングスペースの後ろは鏡面。これが、『かもめ』の舞台である湖面の反射のようでもあり、あるいは登場人物たちの内面を鏡に映し出しているようにも見えて効果的だ。私が座った最後列から見ると、登場人物たちも私たち観客に混ざって劇中劇を見ているようにも見える。

個人的に印象的なのは登場人物が最初に一堂に会する場面(劇中劇を演じる前あたりか)。登場人物のキャラクターや思いが何層にも重なりつつ、それぞれのベクトルを示す。朗読劇という形なのだけれど(でも、今回は台本は手にしていたけれど、演技としてはいわゆる「朗読劇スタイル」に縛られないものかな)視覚的にも非常に鮮やかで……実際には衣裳は黒なのだけれど、何だか目の前にいろんな色が見えたような気になった。

さて、「ベクトル」という言葉を使ったが、『かもめ』で出てくる登場人物たちはそれぞれ一方通行の思いを抱えている人が大半だ。そして、女優さんが演じる場合と比べて、花組芝居で男性が女形で演じることによって思いがより純化したものとして伝わってきた気がするのだ。女形といっても、メイクもかつらもなく、衣装もユニセックスな感じだけれど。

加納幸和さんの大女優アルカージナは身を投げ捨ててトリゴーリンにすがりつく。そして「これで、私のものだ」となった後の変わり様も含めて、アルカージナという女性の輪郭が非常にリアルだ。そして、二瓶拓也さんのニーナ。耐えること、絶望、の後に自分の足で立って歩こうとする凛としたものが見える。堀越涼さんのマーシャが冒頭の登場の一瞬で空間を切り裂いているようなイメージがあってハッとしたのだけれど、コースチャへの片思いが切ないというよりももっと強く昏いものになっていたように思う。それぞれに、女性ではなかなか表現し得ない女性性があって、女性の自分も改めて気づかされるところが多いというか。でも、それが花組芝居が『かもめ』というリアリズム演劇をやる意味の一つではないか、と思う。(※8日ソワレの終演後に加納さんがご挨拶で「花組芝居でかぶきをやっているが、役者は皆それぞれに大学などでリアリズム演劇を学んできた者たちなので、『かもめ』をやってもいいんじゃないかと思った」という感じのことを言ってらした)

リアリズムといえば、コースチャは今でいうところの中二病みたいだなあ(笑)とも思って(←美斉津恵友さんはこういう役どころが似合いますね、なぜだか)チェーホフ作品の現代に通じる部分も改めて感じた。小林大介さんのトリゴーリンは揺れ動く様に色気があり、登場人物たちの中で職業(医者)的な冷静さを持ちつつ一人超越した存在であるドールンの桂憲一さんがとても魅力的だった(そういえば、前作の『夢邪想』に続いて医者の役)。

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