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2015/01/25

水下きよしさん追悼 ぼろぼん忌

昨日1月24日は花組芝居水下きよしさんがちょうど一年前に天に帰られた日。一周忌追悼の「ぼろぼん忌」に南青山のMANDALAへ伺いました。
開催時間4時間半(!)の長尺でしたが、花組芝居の座員の皆さん、そして水下さんを愛した御贔屓のお客様方の思いが伝わるあたたかい会でした。

「ぼろぼん」というのは、『泉鏡花の天守物語』で水下さんがやった朱の盤坊がお酒を飲んでいい心持ちになって歌う歌に「ぼろぼんぼろぼん」というのがあったことから。水下さんもご自分で企画をされる公演には「borobon企画」と名付けてらっしゃいました。

南青山MANDALAは水下さんが以前「弾丸列車」というイベントを定期的に行っていたゆかりの地。深夜1時~始発までくらいの時間でラジオDJ方式で合い間にトークとか芸?とかを披露する形式で、私も1、2度お邪魔したことがあります。
今回のぼろぼん忌は「ぼろぼん列車~あなたにとっての『水下きよし』」と題して、弾丸列車の形式に習い、水下さんが演じたシーンの一部上演、お客様から寄せられた「あなたにとっての『水下きよし』」のお便りのご紹介DJ、座員の方の水下さんとの思い出の曲とエピソード、ゲスト(木原実さん、佐藤誓さん、安冨順さん)と加納幸和さんとのトーク、座談会、10年ぶりに人前に立ったという森川理文さんの大正琴演奏など。場内には笑顔の水下さんの大きな写真が飾られています。

皆さんの水下さんとの思い出を聞いて、私が知らなかったような一面を知って水下さんに触れられたのも嬉しかったし、じんわりと思いが滲んできました。

印象に残る場面をいくつか書かせていただくと。

最後の方に演じられた『泉鏡花の夜叉ケ池』のラストシーン。夜叉ケ池の萩原晃は水下さんの当たり役で、私は水下さんご自身が萩原晃のような人だなと思っているので、「茨の道はおぶって通る」の台詞を聞いて涙が止まらなかったのですが…。ここで晃を演じていたのが美斉津恵友さんで、今まで正直水下さんと美斉津さんとで共通点があるとかいうことは考えたこともなかったのだけれど、晃の持つ「清さ」「涼しさ」(を表現し得る役者であるということ)で重なる部分があるということが大きな発見でした。衣鉢を継ぐ、というのでしょうか。

堀越涼さんが書き下ろされた短編芝居『マッケ君』。マッケ君が単純な仕事の毎日に飽きて電車に飛び乗りそれから何十年も電車に乗り続けている……というシュールな設定のお話なのですが、同じように電車に乗り続けていたおじさんとの短い会話と、その後「僕はこの駅で降りようと思う」とおじさんが電車を降りていくというエピソードがありました。話の設定とは違うかもしれないけど、おじさんとマッケ君が水下さんと堀越さんご自身のようにも感じられたし、生きていくって電車に乗り続けているようなことかもしれないなあ、と考えさせられもしました。
水下さんは堀越さんに「作・演出がやりたいのか?」と声をかけて「涼水」という水下さん演出作品と堀越さん作・演出の2本立ての公演を打つ機会を作った方でもあったので、ぼろぼん忌に短編戯曲を書かれた思いにも打たれます。
マッケ君を演じた松原綾央さんも好演。

そして、『いろは四谷怪談』のソウキセイを盗み出したことを伊右衛門の母おくまに咎められた小仏小平が「弱者の叫び」を歌う「サイド・バイ・サイド」の再現。『いろは四谷怪談』は『東海道四谷怪談』と『仮名手本忠臣蔵』をないまぜにしてジャズミュージカル仕立てにしたという花組芝居初期の代表作ですが、2004年に上演された『いろは四谷怪談』は初期のバージョンとはまったく違うもの(ジャズなし)として上演されていたので、これはとても久しぶりの再現ということになります。『怪誕身毒丸』もそうですが、この初期バージョンの『いろは四谷怪談』の「新しさ」や魅力は今も決して色あせていないことを感じさせたし、また加納さん、水下さん他当時の花組芝居のメンバーの方たちがこの作品を生み出した「熱」がどれほど強かったかということも伝わってきました。

水下さんがお好きだったという「よだかの星」は、情景が伝わってくる朗読劇。よだかを植本潤さんが演じて、これまでの植本さんでは見たことがない役どころをナイーブに心情豊かに演じていらして、これも素晴らしかった。こういう新たなチャレンジを見せていただいたことも、やっぱり水下さんが遺された大きなものの一つではないかと思います。

ぼろぼん列車の最後は水下きよしさんの「ハッピーな臨終」。これは2001年にマンダラで開催された「弾丸列車」でのテーマ「ハッピーな臨終」について水下さんのトークを収録したものであったそうです。


終わった後に佐藤誓さんとちょっと話をしたのですが「時間がたつと、だんだん水下さんが亡くなってる気がしなくなってきた」……と。私もちょっとそんな感じをしていて。ぼろぼん忌は水下さんの存在がいろいろな形で今も皆さんの、そして私の中に生きている、ということを感じられる会でした。

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2015/01/19

継続する演劇集団としての試金石~あやめ十八番『肥後系 雪燈篭』

APOCシアター5周年記念の一人芝居フェスティバル「APOFES」参加作品のうちの一つとして、あやめ十八番『肥後系 雪燈篭』を見てきました(1月18日19:30)。
約1時間の一人芝居。
実はあまり一人芝居は好きじゃなくて自分から進んで見ることは殆どないのだけれど(一人芝居の間を持たせようとして、演技が過剰な感じになるのが苦手)、1時間の長さをきちんと一人で演じ切り、最後まで気持ちをそらさなかったのはさすがでした。
「あやめ十八番らしさ」が随所に出ている作品だと思うけれども、ただ、個人的には引っかかった部分もありました……。

以下、内容に触れてますので未見の方はご注意ください↓

故郷の奄美大島に帰ってきた芸者。男前の旦那さんを連れて帰って来て、おばあさんに見せている……。というところから始まり、彼女が上京して芸者になるまで、そして旦那さんと出会ってからの一代話。と思いきや、初めに聞いてちょっと引っかかった台詞が少しずつひも解かれていき、現実的な話から怪異譚的な色彩も帯びていく。
そのひも解いていく段階で「あっ、そうだったんだ」と思わせるフックがいくつもあって、そのあたりのストーリーテリング力は非常に鮮やか。

まず、芸者さんという題材を取り上げる視点が独特。若い作・演出の方がなかなか取り上げないと思うし、芸者をリアリティをもって描くことは難しいと思うのだけれど、作・演出の堀越涼さんご自身が花組芝居『花たち女たち』で芸者の役を演じている経験も生かし、芸者さんの感情や皮膚感覚もうまく描き出していたと思います。

あやめ十八番の副代表の大森茉利子さんは好感が持てる演技。特に男性の笑い声がよく響いているのが珍しい感じがして、女性のみならず男性のハートを射止める?演技だったんじゃないかと思う。破天荒な芸者さんがまっすぐに生きて恋をして、その後の立場上の悲しみもあって……とキャラクターをイキイキと描いてました。


とまあ、面白く拝見したのですが、個人的に引っ掛かった部分もあり。堀越さんお一人が主宰するユニットから大森さんという構成員(副代表)が増えて継続する演劇集団になったことを考えると、これからもっと上を目指していくのであれば、と若干厳しめのことも付け加えておきます。

一つは技術的な面で、音量のこと。張り扇のバタバタっという音が耳をつんざいて心臓が痛かった(笑)のと、大きな声の芸者さんという役だけれど、張るときの声の大きさがダイレクトに響いてきてちょっと辛かった。劇場の大きさも考慮して、このあたりはもうちょっとマイルドに、受け取りやすいくらいにしていただけるとありがたい。

そしてもう一つはもうちょっと本質(?)的な話で。
演技にはいろんなアプローチ方法があると思うけれど、この『肥後系 雪燈篭』という作品はいわゆる「芸」で演じるタイプのものなんじゃないかと思う。堀越さんが演じる一人芝居のときは落語、今回は講談(女性だからかな、演台と張り扇もあったし)の形を借りる「語り物」という形式を取っているというのもあり、新内勝喜さんによる新内の出語り・三味線が入っているのもあって、ナチュラルな感情で演じるよりは、その人の持っている芸で劇的空間を作る(のが向いてる)作品だと感じました。そこのところが、大森さんの感情に素直なアプローチをする演技と若干の齟齬があった気がします。(もちろん、演技の巧拙を言っているわけではありません、念のため)

たとえば、以前見た堀越さんの一人芝居『伊勢系 水巴』では

「アクティングエリアの後ろにあった木の引き戸を襖に見立てるアクションで急に空間が広がって、現代の恵比寿のバーが急に大正時代の芸者屋にタイムスリップしたような錯覚を覚え」たのだけれど(←当時のレビューからの引用)、

今回の公演でももう少しハッとするような劇的な瞬間、演劇的な飛躍があれば、より作品の持つドラマ性が明確になったんじゃないかと思う。(たとえば、冒頭のフリートークっぽい語りから芝居に切り替わる瞬間や、入れ子構造になっている話の終幕、芸者さんが別の人物に切り替わる瞬間に、バチっと空気を動かすものがあってほしい)

私の観劇歴が宝塚、歌舞伎、ミュージカルから始まってるのもあり、演劇において「芸を見る」ことを重視しているから気になるのかもしれないですが。
ただ、花組芝居という劇団に9年いて、ネオかぶきで「芸」を磨いてきた役者さんでもある堀越さんと、小劇場の舞台で研鑽を積んだ大森さんとはやはりこれまで重ねてきた経験や表現方法は違うのだな、ということを改めて感じもしました。
あやめ十八番という名前で今後も創作活動を続けていく上では、お二人が表現者同士としてどう寄り添っていくのか、どちらかに近づけていくのか、あるいは(私には予想がつかないけど)何か新しい形のコラボレーションを生み出していくのか……が、重要な課題になるのではないかと思う。
そういう意味では、今回の公演が今後の試金石となる気が(勝手に)します。

いろいろ書いてきましたが、非常に面白く拝見したし、他に類がないという意味でも見るべき作品の一つであることは確かです。フェスティバル参加なので公演回数が限られていて、残るは20日と28日の2回公演のみ。

(追記 すみません、初出時公演名を『雪灯篭』に打ち間違えてました! 大変失礼しました)

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