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2014/07/27

あやめ十八番『肥後系 新水色獅子』観劇しました

神社が宙に浮いている。
というのは、最初劇場に入ったときに目についたことで。舞台中央に神社のセットがあるのだが、柱が下まで刺さってないのだ。これが意味あるのかないのか、セットデザイン上の見た目の問題なのかはわからない。けれど、舞台が始まって、過去に神社で自殺した女子校教師がどうして自殺したのかを現在の時点から追っていくというメインストーリーが続く。最後に真実が明かされる話かな……と見えて、終幕に来て一気に何が真実で嘘かの境界線がわからないようなところで終わる。上ってきた梯子を急に外されて、急に身体がふわっと宙に浮かんじゃったような不思議な感覚に陥った。そう、盤石なはずの神社が宙に浮くように。(……かな?)

あやめ十八番の第四回公演となる『肥後系 新水色獅子』。あやめは結構番外公演もあって、過去作品としては私は計6本見てます。(…っていうか、第一回公演が『Love potion #9』で、その前にやっていて私は見てない『八坂七月諏訪さん九月』は第一回公演カウントじゃないのね。今、あやめのサイトを見て知った)
今回はパンフレットで主宰の堀越涼さんのインタビューを担当したこともあり、本編の半分くらいまでの読みあわせ稽古も見せていただいて、そこそこ前情報がある状況での観劇となった。

多重な構造が堀越さんの作品の特徴かと思うけれど、今回も高校教師・塚田峰人の自殺した1994年、そしてある女性が峰人の自殺の謎を追って神社に現れる年2014年、高校生たちが演じる劇中劇の戦前の話(あと、高校教師の過去の恋の話の1984年)、と割とくっきりとわかれていて、しかも黒板に「1994年」と書いてくれるので、劇構造はわりとわかりやすく提示してもらっている印象。

一方で、作品内容としての多重性はより深いものとなったかな。峰人の自殺の謎を追うこと、峰人と生徒との恋、戦争について(天皇の「終戦の詔」もちらりと)、嘘と真実のあいまいさ、モノクロームの世界から色彩の世界へ、残された文字、あるいは女子高校生の生態(?)……といろんな視点でこの作品を見ることができる。さらに通奏低音としての「死」、人間の根本である生死の問題があって。様々なテーマがリンクし合いつつ、大きな物語を形作っているのが面白い。

だから、フラッシュバックのように思い出すのは、水色獅子が出てくるクライマックスであったり、峰人と1年生の千香とのコミカルなやりとりであったり、峰人のかつての妻、仁美が峰人を後ろから抱きしめているシーンであったり、いろいろだけどそのどれもが非常に色鮮やかで。劇中で色盲である峰人が千香だけは色鮮やかに見える……という話が出てくるのだけど、彼の気持ちが追体験できるような「鮮やかさ」が、『肥後系 新水色獅子』のそこここにあったように思う。

これは印象なのだけれど、今までのあやめ十八番の作品ってどこか私小説的(芝居だから私戯曲?)というか……、堀越さんの身の回りのことを書いているっていうわけでないけど、堀越さんの中でどうしてもやむにやまれぬ、書かざるを得ないことをぐわーっと書いちゃったら、作品構造が多重になっちゃったのかなと思っていて。
でも、今回は今までとちょっと違ってる気がする。
今までは一気に作品を書きあげて直さなかったけれど、今回は先にプロットを作り、一度書きあげたものを上演時間に合わせて再構成して、書き方が変わったという話は伺った。そのせいかどうか、以前の作品よりも、ご自分が作ってるものに対する客観性が増しているのかな、というように感じるのだ。それはもちろん悪いことでなくて、継続する演劇集団として演劇を作り続けるのであれば、とても必要なことかなとも思う。(ちなみにこれが、ツイッターに書いた「団体としては新たなフェーズに入った印象」ということ)

堀越さんは「当て書きしてるんで」とおっしゃってたけれど、出演者全員のキャラクターの役柄への生かし方は目を見張るもので。全員がハマり役というか、それぞれの人の個性が引き出されるものとなってる。今まで見たことがある方はもちろん、初めて拝見する方でも、記者の田山役の星野愛さんの低体温な感じ(妙な表現でごめんなさい、でもこういう役者さんってあまりいないから貴重)とか、神社の杉田役の荒井志乃さんのがらっぱちに見せて、でも確かな芯をたたえているところとか、「これしかないよね、ぴったりだよね」と思わせる描き方というのは、特に今作においてさらに深まってる気がする(というのも「団体としての新たなフェーズ」その2)。
固定メンバーでの劇団公演でなく、メインの人たちは重なりつつも出演者が入れ替わる演劇ユニットの公演で、16人全員がハマり役って……なかなかないと思う。
役者を立たせる、ということではこのアプローチは、演者本位である歌舞伎的なものといえるか。

主演の峰人を演じた和知龍範さんは、女子生徒と大勢関係を持ってしまう、まあいっちゃえばダメ男の役なんだけど(笑)ご本人の持ち味なのか、どこかに誠実さを感じさせるところもあって、そのアンビバレンツさが魅力的。
1年生の千香を演じた木原実優さんは「モノクロームの世界の中で一点の色鮮やかさを見せる」という明確な色合いが際立っていた。台詞のある舞台をやるのはおおのの『みすゞちゃん』に次いで2度目で、しかもそのときは本当にぽつんぽつんとしか言葉を発しない役だったから、彼女の長足の進歩にびっくりするし、堀越さんの実践に即した演出力の確かさも感じる。台詞の間合いのよさはお父様(木原実さん)譲りか。

大森茉利子さんの仁美はすべてを受け止められるような愛情豊かさがあった。前作『江戸系 諏訪御寮』での御寮さん役が素晴らしかった金子侑加さんは今回もとてもよくて、劇中劇の清吉の「やあ、咲さんかい」という清々しい声が今も耳に残る(演劇部の部長、美鈴をやっているときの方が、劇中劇の男性役より声が低いんですよね。これ、なんか面白い)。ラストの水色獅子のシーンが本当に鮮やかで、有無を言わせぬものがあったなあ。教師・川尻役のもなみのりこさんの凛とした佇まいもそうだし、劇中劇の清吉の兄・勲役(前園あかりさん)の屈折、咲の友人の圭子(田島真弓さん)の愛情のドラマも、非常にくっきりとした印象に残る。劇中劇の咲役の福永朱梨さんは信じられないくらいの美少女。
堀越さんは役者としては今回は比重の軽い役に回った感じかな(でも、ああいう女教師っているよねーっていう感じの役(笑))。冒頭のフリートーク的な部分から、観客を劇世界へと飛ばす役割も。

生演奏による音楽は今回も。花掘レによるオリジナル曲が芝居と溶け合っていて、あやめ十八番の音楽の使い方としては今回が一番好きかな。最初の方に女学生役でちょっと芝居に参加してるのが妙におかしかったりもした。

次回作は来年春ごろとのこと。本作は「継続する演劇集団としての第一作」という位置づけもできると思う(今回の公演から、構成員として大森茉利子さんが副代表に就任した)ので、今後どう展開していくのかも注意深く見続けていきたいと思う。

公演は本日27日まで。8月1日よりルッキュにて本公演全編を動画配信する。

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2014/07/21

人間的な吸血鬼の哀しい恋を描く~キム・ジュンスさん主演の『ドラキュラ』

ドラキュラがレンフィールドに血を飲ませようとするとき赤い血をしたたらせていたのに、ハッとした。人ならぬ身のドラキュラだから、なんとなく身体に赤い血が流れていないような先入観があったので。(たとえば、『エリザベート』のトートは「青い血を流す傷口が……」という「愛と死の輪舞」の歌詞の通り、青い血が流れていたように)
赤い血が流れるドラキュラ……そう、人間的なドラキュラが自分の全存在をかけて恋をするのがソウル版『ドラキュラ』なのである。

韓国ソウルで開幕した『ドラキュラ』。7月17日と19日マチネ公演で、キム・ジュンスさん主演の回を観劇した(シア・ジュンスさんが舞台に立たれるときは、ご本名の「キム」を名乗るとのこと。これは、アイドル的な存在の「JYJのシア・ジュンス」でなく、一俳優として舞台に立たれるというご自分の決意の表れではないかと思う←このことは、以前にも書きましたが)。
フランク・ワイルドホーン作曲の『DRACULA THE MUSICAL』は今回の公演において、先行するブロードウェイ版、オーストリア・グラーツ版から新たに進化を遂げた。「ソウル版」というべき第三のバージョンとなっている。

原作はブラム・ストーカーの怪奇小説。私個人としては、同原作のものでは松平健さん主演のミュージカル『ドラキュラ伝説』で公演パンフレット、劇団スタジオライフの『ドラキュラ』の初演、再演で雑誌でのインタビューを担当した。また、グラーツ版を元とした日本版は初演のみ観劇。ほかグラーツ版の映像や映画、宝塚の『蒼いくちづけ』などを見ている(ブロードウェイ版は見ていない)。そのときに得た知識を交えつつ、ソウル版の感想を書いていこうと思う。

ただし、先に一つお断りしたいのは、私は韓国語は「サラン」「ミアネ」レベルの単語しか聞き取れないので、もしかしたら思い違いをしている可能性があるということ。韓国語がわかる方でもし間違いを発見されたら、ご指摘いただければと思います。

(以下、ソウル版の公演内容と結末部分、及び日本版、グラーツ版の公演内容について深く触れていきますので、これからソウル版をご覧になる方は閲覧にご注意ください)

ソウル版を見て最初に感じたのが、演出のデヴィッド・スワン氏はかなり具体的に、お客様にわかりやすく内容を提示したい演出家なのかなということ(スワン氏は日本では坂本昌行さん主演の『ALL SHOOK UP』を演出している)。たとえば、精神病院に入院しているレンフィールドの場面で、レンフィールドと同じ病院の患者が出てきたのは、私が今まで見た舞台版では例がなかったこと(びっくりしたけど、病院に入院しているということは他の患者がいて当たり前なんですよね)。また、レンフィールドが「ドラキュラ伯爵がトランシルバニアの土が入った木箱に入り、船でロンドンへ向かう」という話をしている後ろに船の映像が映るので、韓国語がわからない人にもその話をしていることが理解できるのだ。

このように、具体的なエピソードを見せているのがソウル版『ドラキュラ』の特徴だ。グラーツ版の『ドラキュラ』は、ミナがドラキュラに惹かれた直接的なエピソードをあえて作らないなど、具体的なエピソードよりも心情の変化を歌で綴ることをメインにしていた作品だったので、内容的にはソウル版は非常に大きな変更を施したということになる。

(この変更に関して、スワン氏とワイルドホーン氏が答えている韓国語のTHE MUSICALの記事が↓
http://navercast.naver.com/magazine_contents.nhn?rid=1487&contents_id=61463
から読める。「デビッド・スワンが『ドラキュラ』に参加して一番最初に着手した作業は、シナリオの修正」「不滅の人生を生きる吸血鬼の話をドラキュラ伯爵の人間的な面に焦点を当てた男の物語に変貌」「作曲家ワイルドホーンは、韓国の舞台コンセプトを快く受け入れ、それに合った新しいミュージカルナンバーを作成」という内容のことが書いてあるようだ)

まず、冒頭にドラキュラ城にジョナサンがミナを連れていくというエピソードも加えられている。これはブロードウェイ版にはあって、グラーツ版、日本版にはない設定。(グラーツ版をはじめとして、ジョナサンが持っているミナの写真を見てドラキュラが一目ぼれするという設定になっていることが多い)この場面で、ドラキュラが「エリザベス!?」と驚き、ミナが「いえ、ミナです」と答えているのが後の伏線となっている。

何より一番大きな変更は、ドラキュラが愛するミナに対して、自分がかつての恋人エリザベスを失ったエピソードを語るシーンがあるということ。ドラキュラがどうして吸血鬼になったか、そしてエリザベスそっくりのミナに惹かれた理由がこの場面ではっきりと理解でき、観客はここでドラキュラの心情にぐっと寄り添えるのだ。

そして、ジュンスさんのドラキュラは、おそらくこの場面を核として役作りされているのではないかと思われる。ドラキュラは心から愛する女性エリザベスと出会い結ばれた幸せの絶頂から、一転してエリザベスの非業の死によって絶望の底へと突き落とされる。さらに悲しみが怒りに変わり、エリザベスの死を許した神を呪って吸血鬼になってしまう……壮大なドラマが、数分間の中に展開する。この場面、「サラン(愛)」という言葉が何度も出てくるけれど、前半の愛しさを込めた優しい「サラン」から愛を失った後の「サラン」の悲痛な叫びまで、「サラン」の響きの違いの大きさにドラキュラの激情がそのまま伝わってきて、非常に心動かされた。(実際、二度目の観劇のときは、気づいたら私の目から自然と涙がにじみ出ていた…)

もちろん、実際に心を動かされたのはその話を聞いていたミナ。ドラキュラから距離を置いた位置で聞いていたミナは、この話を聞いてどうしても彼に手を差し伸べないではいられないというように、自然にドラキュラに歩み寄っていく。ミナ役のチョ・ジョンウンさんもジュンスさんの真情に心を動かされているのが伝わるとても自然な動き。演劇というのはただ台詞を言ったり歌を歌ったりするものでなくて、人と人との心の響き合いなのだと思う。まさにこの場面には人の思いに心を動かされるというドラマの真髄があった。

このように非常に人間的な心を持つドラキュラだが、ルーシーを吸血鬼に変えてしまうようなモンスターの一面ももちろん持っているわけで。正直に書くと、私が最初に見た15日はモンスターの部分と人間的な部分のバランスを取るのが難しいのかな、という印象だった。だが、17日に見たときは上記の場面の最後、ミナに受け入れられなかった悲しみから再びモンスターになってしまった……という彼の心理展開に説得力を持たせていて、ジュンスさんがドラキュラを自分の血肉としているのがはっきりと伝わってきた。

全編を通して見ると、ジュンスさんのドラキュラは「ミナへの愛」が軸となり、一貫している。当たり前のことかもしれないけれど、自分をカッコよく見せようとかいう余分な部分がない(ドラキュラ伯爵としての美意識はあると思うけど)、真摯な役柄へのアプローチがジュンスさんの身上だと思う。

また、見る前は「人ではない者」という点で共通している『エリザベート』のトートと同じような役作りにならないか……というのが若干心配だったのだけれど、これはまったく杞憂だった。初めから人間でなく、エリザベートと出会って愛を知ることで変わっていくトートと、元々は人間だったのに愛ゆえに人でない者になってしまったドラキュラ。青い血のトートと赤い血のドラキュラがまったく違うキャラクターとなったことにも注目された。

さて、非常にドラマティックで迫力のある音楽が、ご存知のとおりフランク・ワイルドホーン氏の特徴である。今回はドラキュラを追うヴァン・ヘルシング教授にヤン・ジュンモさん。私が見るのはなんと『冬のソナタ ザ・ミュージカル』以来(!)8年ぶり。(そのときの感想で「ファントムをやったら似合いそう」と書いたんですが、数年後に本当に『オペラ座の怪人』のファントムをやられてるんですよね、すごい)。ジュンモさんは豊かな歌声でドラキュラと肉薄できる迫力を見せた。この作品の中ではやや影が薄い(ごめんなさい、設定が、ということです)ジョナサンはチョ・ガンヒョンさんもカイさんも2幕のソロの歌で、一気に彼の人柄と心情を実感させられた。

そんな素晴らしい歌い手の方の中でも、際立っていたのがジュンスさんの歌声。

ツイッターにも書いたけれど、ワイルドホーン氏の楽曲にはロックな響きを重要な要素としているものが多い。ミュージカル俳優はクラシック的な素養のある方が多いせいか、あまりロックテイストのものを得意としない方もいらっしゃると思う(特にアジアでは。ブロードウェイではたとえばアダム・パスカルさんなど、ロック畑のミュージカル俳優も結構いると思うけれど)以前にブロードウェイで見た『ジキル&ハイド』でのスキッド・ロウのセバスチャン・バックさんのように、ポップシンガーでないと出せないワイルドホーンの曲の色合いというのが確かにあるのだ。ジュンスさんはそんな楽曲の魅力を十分に出していたと思う。ミュージカル俳優の中にあって、ジュンスさんの歌声の特異性がドラキュラという異形の存在の特異性とも重なって感じられた。

いわゆる「ドラキュラ物」らしいサスペンスな展開ももちろんあるが、このミュージカルの主軸はドラキュラとミナのドラマティックな愛に絞られている。終幕は日本版とは違う形だが、最後に抱き合う男女の立像にスポットが当たることによって、二人の愛が永遠に続くことを象徴する。

時間的な都合でリュ・ジョンハンさんがドラキュラを演じるバージョンを見られなかったのは残念。しかし、役に生きる力が強く、歌にドラマがあるジュンスさんのドラキュラに触れられたことは幸せだった。

※最後に、ツイッターで書いたことの訂正を入れておきます。
https://twitter.com/theresonlyhere/status/489965366735831040
で「この女性(エリザベス)の生まれ変わりがミーナ」
と書いたんですが、生まれ変わり設定は私の深読みだと思います。
舞台上では「ミナはエリザベスに似ている」(エリザベスに似ているミナにドラキュラが恋をする)というところまでしか描かれていないのではないかと思います。
(すみません、韓国語が聞き取れなくてハッキリしてないけど。『ドラキュラ伝説』が生まれ変わり設定だったので、そう思い込んでしまったようです)。ここで訂正させていただきます。

【7月22日追記】

たびたび訂正でごめんなさい!
http://www.jungculture.co.kr/news/articleView.html?idxno=1393
という韓国語記事の『ドラキュラ』のあらすじがありまして
11a. at Last
이야기를 듣고 슬퍼하며 이야기의 끝을 궁금해 하는 미나에게, 엘리자베스가 환생한 것이 그녀임을 이야기하는 드라큘라.
「(日本語訳)11a. at Last話を聞いて悲しんで話の終わりを心配しているミナに、エリザベスが生まれ変わったのが彼女であることを話すドラキュラ. 」
とありますので、エリザベスの生まれ変わりがミナだという設定でよかったようです。

※そして、以前のジュンスさんのミュージカル出演時に書いたブログのリンクも掲載しておきますね。↓

韓国版『モーツァルト!』(2011/06/22)

新たなトートを創造したジュンス~韓国版『エリザベート』見てきました(2012/02/21)

余談ですが、そういえば、2010年に井上さんに取材したときに「韓国版のモーツァルト!を見て……」とジュンスさんのお話を聞いたことが「見たい」と思ったきっかけだったのだなあ。ブログを読んで思い出しました。ちょうどその取材をしたのが2010年日本版『モーツァルト!』のポスター撮影のとき。今回の韓国滞在で見た『モーツァルト!』のパンフレットに2010年日本版のポスターが載っていて、勝手に不思議なご縁を感じてました。

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2014/07/02

高橋加奈さんがアメリカWV州の『SOUTH PACIFIC』にリアット役で出演します

今は渡辺謙さんがブロードウェイの『王様と私』に出る話で持ち切りですが、ここでは日本よりアメリカに渡った高橋加奈さん(KANA TAKAHASHI)のアメリカ・ウェストバージニア州での『SOUTH PACIFIC(南太平洋)』にリアットの大役で出演することをお知らせさせてください。

まずは、アメリカの舞台専門サイトBROADWAY WORLDでの紹介記事。

Jessica Lee Goldyn, Colleen Sexton, Mark Hardy and More Set for West Virginia Public Theatre's 2014 Summer Season

このページにも書いてあるとおり、このウェストバージニア公演で主役の ネリーを演じるのはJessica Lee Goldyn。『コーラスライン』2006年リバイバル公演でのヴァル役(←「ダンス10ルックス3」(笑)の曲の人)のファーストキャストを演じた方です。(このときの『コーラスライン』のオーディションの模様はドキュメンタリー映画『ブロードウェイ♪ブロードウェイ(Every Little Step)』になっているので、日本の方でJessicaさんを見た方も多いかも)

そんな素晴らしいキャストに交じって、アメリカで最も有名な舞台専門サイトの一つであるBROADWAY WORLDに堂々と「KANA TAKAHASHI」と名前が載っているのを見て、とても感動しました。

加奈さんは私の若きお友達で、私がいつもニューヨークに行くときにお会いしている方。ミュージカル情報の交換などで(笑)お世話になってます。加奈さんは埼玉県出身。日本にいるときからダンスを習い、単身アメリカに渡り、アルヴィン・エイリー舞踊学校を卒業。一度銀河劇場でのダンスの公演に出演してるのを拝見したことがありますが、基礎に裏打ちされた個性が魅力的な、のびやかなダンスを披露していました。

ダンサーからスタートしている彼女が、『南太平洋』というミュージカルで抜擢されるのも、そこに至るまでには並大抵でない苦労があったのではないかと思います。

並大抵でないといえば、もちろん英語も。ブロードウェイの『RENT』『コーラスライン』に出演していた高良結香さんは沖縄育ちですが、インターナショナルスクール出身なので英語には小さいころから親しんでいた方。加奈さんはそうではなく、日本で生まれ育ったのち、舞台を目指してアメリカに移っていったので、英語をマスターするのもきっと並々ならぬ努力が必要だったと思うのです。

また、東洋人ということで演じられる役柄の設定も限られている場合があり(ブロードウェイでは、キャスティング前にたとえば「この役は白人で」「この役はアジア人で」と人種の設定がされていることが多いです。アジア人はアメリカ人の中ではマイノリティなので、どうしても役柄が少なくなってしまう)、そういう点でも私には想像がつかないものがあるかな……と思います。

こうして様々な苦労を乗り越えて、舞台に立つために奮闘してきた努力が実りオーディションでつかんだ、リアットという大役。(加奈さんは今回の公演の前に、コロラドでの『SOUTH PACIFIC』の3カ月公演にも出演しています)
バリハイ島でフランス人のケーブル中尉と出会い、恋に落ちる純真な現地の娘の役です(日本でもCMで使われている「HAPPY TALK」の曲が有名)。きっと加奈さんのピュアさがリアットに反映しているんじゃないかなと想像します。

今回見に行けないのは本当に残念ですが、もし、そのときアメリカにいる方、アメリカ在住の方などがいらっしゃったら、加奈さんの活躍する姿をぜひ見ていただきたいと思います。

KANA TAKAHASHIさんのホームページ
http://www.kanatakahashidance.com/
KANA TAKAHASHIさんのブログ
My Steps×NY & Theater Life

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