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2014/06/30

花組芝居 花組HON-YOMI芝居『南北オペラ』観劇しました

6月21日の初日と28日夜の公演を観劇。ツイッターで「わからないけど面白かった」と書いたけれど、ちょっと語弊がある表現だったかなと思い直してもうちょっと丁寧に書くことにする。
というのも、公演をご覧になってる方はもちろん自明のことだけれど、見てない方に「わからない」=意味不明、不条理系、スラップスティック系と受け止められたらそれは違うかなあと思うので。

初演は2002年のシアターアプルでの、劇団15周年記念公演。『金幣猿島郡』を題材に華麗なビジュアルとミュージカル仕立てした作品で、これをリーディングにするとどうなるのか…?と思ったのだけれど、これが面白かった。

物語は四世鶴屋南北の最後の作品。クーデターを起こしたために打ち取られた平将門が恋人、滝夜叉姫の亡骸を借りて蘇り、将門の悪の朋友、藤原純友と出会う。さらに、将門の娘七綾姫は忠文、七綾の恋人頼光は清姫から怨念にも似た恋心で追い求められ続ける。
ここで描かれているのは皆、激しい執念(恨みや恋心など、形は様々だけれど)を持った人たちだ。恋心ゆえに清姫は蛇体となり、将門は執念を持って恋人の亡骸を借りて蘇る。
細かいストーリー展開はわからないとしても、観劇した方は自分の意志を超えて「○○せざるをえない」という「執念」を持っているということは、ひしひしと伝わってくるのだ。

メイクも舞台衣装もなく、ヒッピースタイルという素に近い姿で演じられることによって、思いはさらに純化する。純化するといえば、それは歌で心情を表現することの最大の効果でもあって。
加納さんおっしゃるところの「エノケンのアチャラカ・ミュージカル」スタイルで歌われることによって、それぞれの心情と関係性がストレートに表現される。
蛇にならないではいられないほどの恋……人間の心の淵の闇の深さに震えながらも、どこか冷静に受け止められるのは、闇と相反する軽やかなミュージカル表現を使っているからか。一種のパロディとして、嗤い飛ばしているような皮肉もあるのが一筋縄ではいかないところだ。

さて、もう一つ。この舞台で出てくる「双面」。歌舞伎では「双面」という趣向はよくあって、ここでは将門の魂が妻滝夜叉姫の死骸を借りて蘇るというものと、恨みを抱いたまま死んだ忠文と清姫の魂が合体して頼光七綾姫を悩ますというのが出てくる。特に前者では男性の中の女性性というか、このどっちつかずの感じに触れて胸を騒がせられるのだけれど、歌舞伎のこしらえでなく素で演じることにより、まったく新しい切り口の双面が創りだされていたと思う。これは、真女形の加納幸和さんが外部での男性役の経験を積んできたたまものでもあるかしら。

客席の心を自在にあやつりながら、恋に狂う情念をほとばしらせる植本潤さんの清姫。前回の『怪誕身毒丸』でも書いたと思うけど、田原秀郷の丸川敬之さんは演技に迫力が出て、加納さんの滝夜叉姫を相手にして遜色がない。頼光の桂憲一さんは「チャオ!」の能天気キャラ(?)が無類。秋葉陽司さんの寂莫法印は太い存在感に(←体型のことじゃなくて(笑))リアリティがある。

ここまで書いてきてこれが「リーディング」であることをつゆほども感じていなかった自分にもびっくりするけれど(笑)、台本を手にして演じていても限られた空間でダイナミックに作られた芝居は、いわゆるリーディングではないな、と思う。じゃあ、なんといえばいいのか…? HON-YOMI芝居……??

さて、今回の公演は水下きよしさんの追悼公演でもあって、会場の花組芝居本拠地、セーヌフルリに入ると一面水下さんの画像に囲まれ、随所に水下さんが「登場」する。水下さんが演じた坂東太郎実は藤原純友は今回、小林大介さんが演じていて(歌は水下さんの音声が流れる)、最初の台詞は小林さんが水下さんの台詞回しを完コピ。追悼公演といっても湿っぽいものにせず、大らかなお人柄の水下さんをそのまま「蘇らせた」ようなあたたかさがあった。

余談ながら、『金幣猿島郡』は四世鶴屋南北の最後の作品だが、近松門左衛門の最後の作品『関八州繋馬』も『金幣~』と同じく将門をモチーフにしたもの。この『関八州繋馬』は『かぶき座の怪人』初演の劇中劇でも取り上げられている。もう一つ書くと、四世鶴屋南北は劇団☆新感線の『阿修羅城の瞳』で加納さんが演じた役。

(公演は29日で終了)

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2014/06/16

スタジオライフ河内喜一朗さんをお見送りする

横浜港からナホトカへ向かう客船の中で、私は河内喜一朗さんと初めてお会いした。私はパサジェルカ(女船客)として、初めて会ったのだ。
私は飛行機を使わないでヨーロッパまで行くという旅行を友人と企ててシベリア鉄道に乗るために、河内さんは演劇の公演のために船に乗っていた。3日間の船旅。当時私はただの演劇好きで、船内の荷物で「劇団かしの樹」というのを見かけて「あー、劇団の人が乗っているんだ」と気にしていたところ、河内さんとお話しする機会があったのだ。
「日本人で初めて、ウラジオストックで公演をするんですよ」
と河内さんは気さくにお話し下さった。

それから数カ月後、私はスタジオライフの『夜叉ケ池』を見に行った。普通に客席から芝居を見ているうちに「……あれ、私、あの人知ってる……」と思う人が舞台にいた。それが河内さんだった。

その後、私は演劇ライターとなりご縁あってスタジオライフの取材を数多くさせていただくようになった。公演のパンフレットの対談・座談会も何度か担当させていただいた。
河内さんには「あのときの船で会ったんですよ~」という話をして、二人で固く握手を交わしたのだった(笑)。

河内さんはお会いするときはいつもシャイな笑顔を浮かべて「○○、読みましたよ。ありがとうございます」とまず感謝の言葉を述べられた。
最後にちゃんとお話をしたのは『少年十字軍』の公演中、次回公演の『トーマの心臓』について、若手のキャスティングとリーディング公演で以前のメンバーを集められることなどをとても嬉しそうにお話し下さったのだった。

今、思い出すのは先日の『トーマの心臓』出演者オーディションのこと。
http://omoshii.com/interview/7764/
でレポートさせていただいたとおり、河内さんはオーディション参加者の演技中に立ちあがって、彼らに交じって演技を示された。(ああ、河内さんが演技している写真が後ろ姿のしか載っていない……(涙))オーディションだから、ただ選考するだけでもよかったはずなのに、ちゃんと参加者一人一人に役者同士として向かい合って、どう演技相手と関係を結んでいくかということを身を持って示されたのだと思う。思えばこのときが、私が演技をなさっている河内さんを見た最後となった……。

決して器用な役者さんではなかったと思う。でも、あたたかみのある演技で、芝居とは一人で作り上げるものでなく、人と人と向かい合うことなのだということを教えてもらった気がする。

そして『トーマの心臓』。
私は『トーマ~』を幼いころから愛読していて、私の人生のバイブルになっている本なのだけれど、2006年『トーマ~』の感想を書いた

http://kaoru-web.air-nifty.com/blog/2006/06/post_d996.html

にも触れているとおり、トーマの父、ヴェルナー氏とエーリクの会話のシーンが一番好きで、心に残っている。子供のころには決してわからなかったここの台詞の大切さを気づかせてくれたのは、河内さんのヴェルナーだった。

また、『ファントム』で『レ・ミゼラブル』新演出版のマット・キンリー氏を美術に招き、『翼をください』の村井邦彦氏を『カリオストロ伯爵夫人』の音楽に招くなど、新たなコラボレーションにも積極的だった。大資本の商業演劇ならともかく、キンリー氏ほどの世界的な方を招こうとするのは、日本の劇団では他にない。これも、河内さんの飽くなき演劇魂によるものと思う。

昨日、今日と河内さんのお通夜、告別式に伺った。告別式の最初に河内さんの経歴をご紹介される言葉でも、ウラジオストックでの公演のことも触れられていた。河内さんがスタジオライフの公演のために選んだ曲が流され、ご出棺時はSLAVAの「カッチーニのアヴェマリア」が流れた。ご友人の方のお言葉から、大学時代に陸上部で箱根駅伝に出場するほど頑張られていたことを知り、そして山崎康一さんが読まれた『トーマの詩』に涙した。弔辞を読まれた山崎さんはヴェルナー氏の役を引き継がれたことを涙ながらに語っていらしたけれど、河内さんはきっといつもの優しい笑顔で山崎ヴェルナーを見守ってらっしゃったのではないかと思う。

私はナホトカ行きの船に乗って河内さんと出会い、今度は演劇という船に乗って河内さんと再会した。新たな船に乗った河内さんをお見送りして、私たちは皆船客であり、人生は船に乗っているようなものであると改めて思う。

でも今、公演中である『トーマの心臓』から、私たちは亡くなった方から影響を受け、人と人との絆を結べることを知った。スタジオライフの脚本・演出であり奥様である倉田淳さんがずっと河内さんと二人三脚でやっていたから、倉田さんのこともとても心配だけれど、『トーマの心臓』の台詞の一言一言に心励まされるのではないかと思う。それも、河内さんが倉田さんに残されたことかと……。
そして、劇団員の皆さんも大変な状況で公演が続くが、河内さんの思いを受け継いで演じていただきたいと思う。私は客席で見つめることしかできないけれど。

「…さようなら
しばしでもなつかしかったよ
祝福を…君の未来に」

河内さんが残してくださった大切なものを胸に抱いて、生きていこうと思う。ありがとうございました、河内さん。

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