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2014/03/15

ある意味、EVERYTHING IS RENT~あやめ十八番『江戸系諏訪御寮』を見ました

あやめ十八番『江戸系諏訪御寮』を見終わった後、ふと頭に「EVERYTHING IS RENT」というフレーズが思い浮かんだ。

「EVERYTHING IS RENT」というのはご存知の方はご存知、ミュージカル『RENT』のタイトル曲に出てくる歌詞で、映画版ではこの部分を「すべては神様から借りたもの」と訳していた。まず、あやめ十八番の主宰であり作・演出・出演の堀越涼さんが『RENT』を100%意識してないことは断言できる(笑)(聞いてないけど)。

ただ、『江戸系諏訪御寮』にとってとても重要なキーワードが「借りる」という言葉。
十六島という閉鎖されたコミュニティで諏訪家と篠塚家の二つの家族の物語、人食い鬼が人の命を借りるという話しがモチーフになる舞台で、終幕に提示されるテーマだ。
命は借り物であり、肉体はその器。魂は精神にこそ宿るもの……。あるいは輪廻転生し、時空を超えながらも命を紡ぐということ。死する命と生まれる命。堀越さん自身の死生観がそこに表れている。

(RENTで言うところの「EVERYTHING IS RENT」はもちろんキリスト教的死生観によるもので、東洋のそれとは違うものだけれど、魂を精神性に求めるところは通じるところがある、のかも)

そして、もう一つの「借りる」。「現代の古典演劇」を標榜するあやめ十八番で、日本の古来から伝わる伝承、風習、あるいは古典演劇のエッセンスを借りて演じられている(堀越さんの言葉によれば、「盗む」か)。借りるというと単なる真似ごとのように思われるかもしれないけれど、古典的な要素が作品の血肉になっていることは明らかだ。(たとえば、昨今の「アングラ演劇」がアングラの精神でなく、アングラ・スタイルだけを使用しているのとは対照的)それは、花組芝居という古典を題材とする劇団での経験もあるだろうし、堀越さんの演劇を始める以前のパーソナルな部分も影響しているのかもしれない。

物語冒頭で舞台奥の真ん中にお面(フライヤーのイラストになっているもの)が置かれるのだが、それがストーリー自体の中心点も意味するという端正さ、絵作りの確かさ。話しを進める音楽ではなく、出演者の内面を伝えるという義太夫的な音楽の使い方。単なるテイストに留まらない「和」を借りて、堀越さんの個性と融合しながら立ち上げる独特の世界が、「あやめ十八番」的演劇なのだと思う。私見ですけど。

さて。前作『長井古種かすり乙女』の時も感じたけれど、堀越さんの語りからゆるっと始まり、いつの間にか物語が立ち上がり、そして最後まだゆるりと終わるというのが、客席と物語が地続きにある感じがしてとてもいいなと思う。(「スイッチを入れる芝居 VS ゆるりと始まりゆるりと終わる、観客と親和性がある芝居」という話を、たまたま最近の取材でしたところだったので、なかなか興味深かった)
構成としてはやや複雑で、多くの要素が入り過ぎな気もするのだけれど(これは『淡仙女』のときもそう書いた)、多分削ぎ落とすことよりも多くを語ることが今の堀越さんには必要なことなのかな、とも思う。実際、最後まで話を引っ張っていくストーリーテリング力は非常に確かなもので、2時間、一度も時計を見ることなしに舞台に集中していられた。

ただし、音楽の使い方は面白いけれど、劇場(楽園)の大きさにしてはボリュームが強すぎるかなという気もする。
十六島の閉鎖感と地下にある小劇場を巧みに重ね合わせて、客席も縦横に使った立体的な演出も見事だ。鬼の伝説など土俗的な話でもあるのだが、語られている言葉が標準語であるのに若干違和感も。(追記、今、youtubeの『江戸系諏訪御寮』の動画を見たら、土佐さんの役など結構方言であることを発見(笑)。でも、私が見た印象は標準語だったんですけど…どうしてだろ……イントネーション?)

役者さんでは瑞々しく可愛らしい少女の土佐まりなさん。(私の反対面に座ってた男性のお客さんが土佐さんを見て、めっちゃ幸せそうだった! 人をあんなに笑顔にできるってすごい)篠塚家の息子、春平の美斉津恵友さん。その年代特有の不器用さが魅力的で、土佐さん演じる少女と出会うことによって(ぎこちなくも)変わっていく様子のデリケートな表現がよかった。「拝み屋」諏訪家の長女、琴美の金子侑加さんは一種独特の迫力がある。諏訪家に生まれながら霊的なものを信じない志郎役の堀越さんはいい具合のうさん臭さ(?)が際立っていて、空間を締める。物語終盤、暖簾の奥から出てくるシーンに、志郎自身の変化が見て取れてハッとした。

最後に一つ。勝手な意見を書くことをお許しいただけるのであれば。
人は生まれ、死ぬ。身近な人の死はとても悲しいことだけれど、その方の影響を自分の身内に残して、思いを受け継いでいくということが、命の永遠性なのではないかと私は思う。
今回の公演を見て、『淡仙女』のお父さん、水下きよしさんの不在を思わないではいられない。でも、具体的に何が語られているのではなくても、堀越さんが、そしてあやめ十八番で皆さんが芝居を続けることの中に、水下さんが「いる」のだとも思う。

公演は明日16日まで、下北沢楽園にて。

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