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2013/12/12

花組芝居『怪誕身毒丸』吽形観劇しました

『怪誕身毒丸』阿吽形ダブルキャストのうち、前回ブログに書いた阿形に続いて吽形チームを拝見しました(8日ソワレ、10日)(前回ブログの後、8日マチネの阿形も観劇)。

…はじめツイッターに感想を書いたとき「加納さんのカーリーが素晴らしすぎて、言葉にできない」と書こうとしたのだが、さすがにそれではライターとしてダメかと思い(笑)

「一瞬の所作にも決して一色じゃない、様々な感情があふれ出して。あと、皆さん人間っぽく演じてるけど実はインドの神という設定だということ。忘れがちだけど、加納さんの異形さで「人ならぬ神」という感覚も伝わってきた。」

と書いた。でも、今でも加納幸和さんのカーリーに対しては「筆舌に尽くしがたい」という表現が一番合っている気がする。それほどに本当に溢れ出るものの量も質も違うというか。千秋楽のご挨拶では「義太夫は、たとえば『い』という一音だけにもいろいろな思いを込める(ので、大変)」という話をされていたのだけれど、「ああ、そうか」と合点がいった。

古典のもの、たとえばギリシャ悲劇などは人間の感情を蒸留してさらに濃密にして表現しているところが特徴と思うが、そんな濃密さが、加納さんのカーリーにはあった。
現代演劇で古典を題材にすることの意味を、改めて知った気がする。

思えば『怪誕身毒丸』の原典となっている『摂州合邦辻』も母親・玉手御前の息子・俊徳丸への恋慕は、本当の恋なのか、それとも偽りの恋なのかは解釈が別れるところとなっている。どの解釈が正しい、ということでなくて、一色には染め上げられない複雑な感情を持っているのが人間なのか。そういう人間の姿を純化して、さらにマグマのような強い感情まで昇華させていったのがカーリーのようにも思える。

自分の感情の芯まで揺さぶられるような圧倒感と母性のあるカーリーが劇空間を支配する吽形。ダブルキャストの阿吽形では基本演出は一緒なのだが、登場人物の関係性まで違って見えるのが今回の面白いところ。
カーリー、シッダルタ、インドラ、ヤマの四人のバランスがある意味均等で、四人の作りだすドラマがわかりやすかった阿形と、カーリーに物語が集約することによって、否応なしにカーリーに惹かれていってしまうシッダルタの気持ちに納得がいく吽形というところだろうか。

シッダルタの丸川敬之さんは(坊ちゃん劇場『げんない』での大役の経験が生きているのか)肚の座ったところを見せつつ、それと裏腹の弱さやコンプレックスがあって、奥深い人物像を見せた。インドラの秋葉陽司さんは、一瞬鋭さの片りんを見せながらも殆どは凡庸(ルイ16世的な感じ?)という人物を的確に表現。美斉津恵友さんは非常にクリアで透明感のある(逆な言い方をすると、あらゆるものを寄せ付けない……愛しても求めえない反動として)ヤマかな。個人的にはもうちょっとどろっとしたものがあった方がヤマとしては好きだけど、それだと美斉津さんっぽくないか。いや、何を持って美斉津さんっぽいというかはわからないけど(汗)。

吽形チームのアンサンブルにあたる「神々」役では阿形のメインキャスト4人がそのまま出ているのも、贅沢なところだ。

連日満席で見られなかった方もいたという盛況の公演。今までの『怪誕身毒丸』を知らない世代の人たちにも受け入れられたのは、他では見られない、本当の意味でのドラマが見られたからだろう。次回は15年後、とはいわないでもっと早く見せていただけたらと思う。

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