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2013/12/31

加納幸和さんに聞く『怪誕身毒丸』公開しました

15年ぶりの再演となった花組芝居『怪誕身毒丸』。公演終了後、脚本・演出・出演の加納幸和さんに公演について詳しく振り返っていただいたインタビューを掲載しました。
いつも寛大に掲載を許可してくださる加納さん、花組芝居さんに心よりお礼申し上げます。
ぜひお読みくださいませ。

「加納幸和さんに聞く『怪誕身毒丸』」はコチラ。

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2013/12/12

花組芝居『怪誕身毒丸』吽形観劇しました

『怪誕身毒丸』阿吽形ダブルキャストのうち、前回ブログに書いた阿形に続いて吽形チームを拝見しました(8日ソワレ、10日)(前回ブログの後、8日マチネの阿形も観劇)。

…はじめツイッターに感想を書いたとき「加納さんのカーリーが素晴らしすぎて、言葉にできない」と書こうとしたのだが、さすがにそれではライターとしてダメかと思い(笑)

「一瞬の所作にも決して一色じゃない、様々な感情があふれ出して。あと、皆さん人間っぽく演じてるけど実はインドの神という設定だということ。忘れがちだけど、加納さんの異形さで「人ならぬ神」という感覚も伝わってきた。」

と書いた。でも、今でも加納幸和さんのカーリーに対しては「筆舌に尽くしがたい」という表現が一番合っている気がする。それほどに本当に溢れ出るものの量も質も違うというか。千秋楽のご挨拶では「義太夫は、たとえば『い』という一音だけにもいろいろな思いを込める(ので、大変)」という話をされていたのだけれど、「ああ、そうか」と合点がいった。

古典のもの、たとえばギリシャ悲劇などは人間の感情を蒸留してさらに濃密にして表現しているところが特徴と思うが、そんな濃密さが、加納さんのカーリーにはあった。
現代演劇で古典を題材にすることの意味を、改めて知った気がする。

思えば『怪誕身毒丸』の原典となっている『摂州合邦辻』も母親・玉手御前の息子・俊徳丸への恋慕は、本当の恋なのか、それとも偽りの恋なのかは解釈が別れるところとなっている。どの解釈が正しい、ということでなくて、一色には染め上げられない複雑な感情を持っているのが人間なのか。そういう人間の姿を純化して、さらにマグマのような強い感情まで昇華させていったのがカーリーのようにも思える。

自分の感情の芯まで揺さぶられるような圧倒感と母性のあるカーリーが劇空間を支配する吽形。ダブルキャストの阿吽形では基本演出は一緒なのだが、登場人物の関係性まで違って見えるのが今回の面白いところ。
カーリー、シッダルタ、インドラ、ヤマの四人のバランスがある意味均等で、四人の作りだすドラマがわかりやすかった阿形と、カーリーに物語が集約することによって、否応なしにカーリーに惹かれていってしまうシッダルタの気持ちに納得がいく吽形というところだろうか。

シッダルタの丸川敬之さんは(坊ちゃん劇場『げんない』での大役の経験が生きているのか)肚の座ったところを見せつつ、それと裏腹の弱さやコンプレックスがあって、奥深い人物像を見せた。インドラの秋葉陽司さんは、一瞬鋭さの片りんを見せながらも殆どは凡庸(ルイ16世的な感じ?)という人物を的確に表現。美斉津恵友さんは非常にクリアで透明感のある(逆な言い方をすると、あらゆるものを寄せ付けない……愛しても求めえない反動として)ヤマかな。個人的にはもうちょっとどろっとしたものがあった方がヤマとしては好きだけど、それだと美斉津さんっぽくないか。いや、何を持って美斉津さんっぽいというかはわからないけど(汗)。

吽形チームのアンサンブルにあたる「神々」役では阿形のメインキャスト4人がそのまま出ているのも、贅沢なところだ。

連日満席で見られなかった方もいたという盛況の公演。今までの『怪誕身毒丸』を知らない世代の人たちにも受け入れられたのは、他では見られない、本当の意味でのドラマが見られたからだろう。次回は15年後、とはいわないでもっと早く見せていただけたらと思う。

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2013/12/05

花組芝居『怪誕身毒丸』阿形組初日観劇しました

花組芝居『怪誕身毒丸』。ダブルキャスト「阿吽」の内の一つ、「阿形組」初日を昨日拝見しました。

阿形組の配役は
母親カーリー(「摂州合邦辻」では「玉手御前」にあたる役)=谷山知宏さん
継子シッダルタ(同「次郎丸」)=小林大介さん
実子インドラ(同「俊徳丸」)=大井靖彦さん
嫁女ヤマ(同(浅香姫」)=堀越涼さん

******
加納幸和さんの加納幸和事務所時代の処女作(1986年上演時のタイトルは『JOHRURIしゅんとく丸』)であり、花組芝居の代表作の15年ぶりの再上演。
歌舞伎の『摂州合邦辻』を元とした物語で、さらにインドの神々の設定に大胆に翻案したもの。
私は過去4度の上演のうち、1991年版と1998年版を観劇。衣裳の印象もあるけれど、色彩豊かな豪華絢爛な舞台だったという記憶がある。

そして2013年版。舞台に飾られた蓮の花や漂うお香のかおり(←冒頭がお葬式のシーンなので)は紛れもなく『怪誕身毒丸』の世界だけれど、舞台の幕が開くと出てくる役者さんは皆さん、紋付袴にノーメイク。舞踊の「素踊り」のように拵えをしないで演じるという、「素ネオかぶき」形式での上演はドラマ性が際立って、新たな『身毒丸』が立ち上がった。
駅前劇場という小さい小屋で満員の客席での上演で、エロスも歌舞伎的な本格芝居も歌もダンスもゲスト登場のチャリ場も、すべてごちゃまぜにしたアングラな猥雑さがありながら、一つシンプルに筋が通っているように感じられるのは、“素「ネオかぶき」”だからかもしれない。


改めて思うのは、この作品を20代半ばで書いた加納さんのすごさだ(もちろん再演される時々で書き変えている部分はあるけれど、骨子はそのまま)。インドの神々の世界という果てしなく広がる世界観の中で、男女の情というミニマルなところに鋭く切り込む感性。何より、こんな舞台は当時も25年後の今も他に類を見ない。

加納さんの初期作品だけあって、寺山修司色も若干感じられるのも興味深いところ。寺山修司さんに「君は女形の方がいいね」と言われて女形を志したという加納さんは、初期は寺山修司作品に出演するなど寺山さんと関わりがあったとのことだ。
寺山さんの『身毒丸』には「お母さん、もう一度僕をにんしんしてください」という身毒丸(『摂州合邦辻』の俊徳丸にあたる役)の台詞がある。(余談だけど、これが漢字の「妊娠」でないところがポイント……らしい)
『怪誕身毒丸』では、それと対を成すような母親カーリーの「私はお前を生みたかった」という台詞が出てくる。が、生みたかった相手が俊徳丸にあたるインドラでなく、次郎丸にあたるシッダルタなのだ。

そう、『摂州合邦辻』を元に……と書いたけれど、『怪誕身毒丸』は『合邦辻』そのままの人間関係を舞台化しているのではない。
『合邦辻』は玉手御前が息子俊徳丸に偽りの恋を仕掛けるが、実は……という話。
『怪誕身毒丸』はカーリーが息子インドラに偽りの恋を仕掛けるが……というところまでは一緒でも、カーリーの継子シッダルタへの義親子を越えた愛情、さらにはインドラの嫁ヤマとシッダルタの不倫、と元々複雑な『合邦辻』に輪をかけてさらに複雑な男女の思いが入り乱れている。

昨日拝見した「阿形」組では劇団でも若手メインでキャスティングされていることもあって、カーリー、シッダルタ、インドラ、ヤマの四人の関係性と感情がよりストレートに訴えかけるものとなった。

『怪誕身毒丸』というとどうしても、加納さんの当たり役である「すべてを飲み込んで燃え尽くすマグマのような(!)カーリー」を思い浮かべてしまうので、自分の持っている過去の印象を乗り越えられるかなあ……というのが今回の観劇の自分的課題(?)だったのだが、意外なほどすんなりと谷山知宏さんのカーリーが入ってきた。
二人の比較をたとえるなら、歌右衛門さんの玉手御 前と菊之助さんの玉手御前のような感じ(笑)?
谷山さんのカーリーに若さがあるからこそ、我が子に不義密通を仕掛けて毒を飲ませるなどとんでもない行動に出てもリアリティが感じられるのだと思う。勢いのあるカーリーだった。

小林大介さんは、自分の出自に対する鬱屈した感情が芯にあるところがダークなオーラを醸し出すシッダルタ。『宝塚BOYS』で鍛えた成果かダンスの見せ方も格段にアップしたと思う(歌は…そうでも……(笑))。カッコよかったです。
大井靖彦さんのインドラは奇跡の44歳(笑)。そういえば以前にやったヤマも綺麗でしたが、少年性と、生まれながらに高貴な身分の人のどこかムカつく感じが出ていた。
堀越涼さんのヤマは夫のインドラ、そして道ならぬ関係のシッダルタという二人への複雑な思いの機微を表現。女性が嫉妬する様子を言葉にたとえると普通「醜い」とか「みっともない」という形容詞になると思うのだけれど、終幕の嫉妬心の果てに行動するヤマはなんだか美しかった。嫉妬する人を美しいと思えるのは女形だからなのか? 幕切れの立ち姿の大きさも含めて印象的。カーリーとヤマの女形対決も拮抗感があって、見ごたえがあった。

こうして心理戦のようなドラマを見せながらも、随所に遊びや混ぜ返しのところがあるのが面白い作品であって、特に、シッダルタのカッコ良いダンスシーンに「うるさいよ!」とバケツ水を浴びせかける通称「バケツ親爺」の場面は日替わりゲストが出演。昨日は千葉雅子さんが「あなたたち、何組!?」と騒ぐ生徒を怒る学校の先生の設定で登場。パワフルさと延々引っ張るところが見ものだった(笑)。

そして、最後10分で登場する策略の神ナーガ。「デウス・エクス・マキナ」(ギリシャ神話で、物語の終盤に出てきて強引に大団円に持っていく神様)か?と思いきや何もしないで斬り殺されて去っていくという、めちゃくちゃな役を桂憲一さんがチャーミングに見せた。

全編に流れるのは15年前上演時の故・竹本朝重さんの義太夫と鶴澤津賀寿さんの三味線。様々な喧騒の果てに最後に心に残るのは、理屈を超えた男女の情の不思議さ、昏さだ。

本日初日を迎えるダブルキャストもう一つの「吽形」は加納幸和さんが当たり役カーリーで登場! こちらもどんな舞台になっているのか? 期待したい。

公演は10日まで、下北沢駅前劇場にて。

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