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2013/09/29

私たちの「隣」にある物語~『ネクスト・トゥ・ノーマル』(N2N)(ネタバレあり)

(ネタバレありで書いていますので、観劇前の方はご注意下さい)

ブロードウェイで2009年に見て大変心動かされた舞台『NEXT TO NORMAL』(そのときの短い感想はコチラ)。
公演が始まる前にシルビア・グラブさんにインタビューさせていただいたとき、「『ネクスト・トゥ・ノーマル(N2N)』本当に素晴らしい作品だから、この魅力を皆さんになんとかお伝えしたい!」という話で意気投合(?)したのだが、この作品の魅力を特に見る前の人に伝えるのってなかなか難しいことだな、とは原稿を書きながら思ったこと。
双極性障害を持ったお母さんと家族の話……と書くと、なんだか暗くて重い舞台のような印象にとられてしまいそうで。
でも、実際に見た舞台はそんな重苦しいものじゃなく、笑う場面も、音楽的な魅力もあって。何より舞台に引き込まれた。決して一色で染め上げられていない、多彩な輝きを持っているというのが『ネクスト・トゥ・ノーマル』日本版を見て新たに思ったことだ。

特に思ったのは、この物語は母親の精神病を描くのもそうだけれど、家族の死にどう向かい合っていくか、というとても普遍的なテーマを持っている作品だということだ。これは特殊な家族の特殊な話ではなく、誰もが抱えることなのだ。
母親ダイアナはただ突然精神に変調をきたしたのでなく、幼い息子を喪った悲しみで精神の均衡をなくしてしまう。
家族の死にどう向かい合い、生きている家族とどういう絆を結ぶか……、これは決して特殊なことでなく、誰もが経験しなければいけないこと。

N2Nを見ながらふと思い出した個人的なことがあって。
私と同時期に親御さんを亡くした方と話していて「今は吹く風の中に亡くなった父がいるのを感じられるようになった。以前よりも父親が身近に感じられる」と聞いた。とても素敵な言葉だけど、残念ながら吹く風の中に亡母がいることを感じたことは私は一度もない。でももしそう感じられたらきっと幸せで精神の平安も保てるだろうなあ……と思った。逆に「吹く風の中に……」が、もしかして具体的な形を取ったとしたら、何かの(精神の)バランスが崩れたとしたら、ダイアナのように死んだ家族が目に見えるようになるのかも……などと思うと、ダイアナも父親ダンも娘ナタリーも決して人ごとではない。

「自分は普通」と思っていたとしても、その境界線は実はあいまいなもの。では、普通とは何で、who's crazyなのか。
ストレートプレイでももしかしたら描ききれないほどの複雑な問題かもしれないけれど、これはミュージカルにする意味があるのだと思う。
それは台詞で語り尽くすのでなく、音楽で感情を伝え、限られた歌詞の中で様々なイメージを膨らませることができる「余白」があるということだ。
ドクターが自分を好きだ?と妄想してしまうやりとりや、「お気に入りの薬」を歌うときに「サウンド・オブ・ミュージック」の「私のお気に入り」の一節を加えるような、くすっと笑えるシーンも茶目っ気もあり、ドライブ感のあるカッコいい音楽に単純に心動かされることで、より本質に近づいていける気がする。
もちろん、演出は一分の隙もないほどに完璧に作り上げられているのを感じる。(マイケル・グライフのオリジナル演出のままで見られて、本当によかった……! 日本版リステージのローラ・ピエトロピントさんも初期段階からN2Nに関わっている方とのこと)3階建ての装置を使って登場人物の動きを上下で重ね合わせることで、心理のシンクロ具合を見せるところなど非常に効果的だ。

気づけば日本版に3回足を運んでいた。
印象に残るのはシルビア・グラブさんのダイアナ。ブロードウェイで見たときの衝撃的な演技(実はブロードウェイで私が見たときはトニー賞受賞のアリス・リプリーでなくて代役の方だったのだけれど、代役でこんなに上手なのか、と本当にびっくりした)をほうふつとさせるもので、なかなか日本人で表現しきれないアメリカ人の心の機微をしっかり見せてくれた。(たとえば精神病治療の電気ショック療法のことを「カッコーの巣みたい」と言うところの強さは、なかなか日本人では表現しにくいところだと思う) ときどき見せる明るい表情(IT'S GONNA BE GOODの歌のところとか)は、ダイアナが本来はとても明るくて聡明な女性であることをうかがわせる。優れた歌唱力で、音楽の中で表されているダイアナの感情の激しいアップダウンと奥に潜む悲しみを余すところなく見せた。一方、安蘭けいさんは彼女の持つ苦しみが漂うダイアナで、特に「I missed the mountain」に情感がこもった。

そして、ゲイブの小西遼生さん。辛源さんはオリジナルキャストのアーロン・トヴェイト(映画『レ・ミゼラブル』のアンジョルラス役)の役作りと近いものを感じて、それはとても正しい解釈だと思うが、小西さんは日本人の感性による新たな日本版ゲイブを作り上げていたのではないか。ダイアナの頭の中で作りだした存在で、死んだ息子が18歳になった姿がゲイブなのだが、小西さんのゲイブはただの空想の産物でなくある種実態を持ったものとして存在していた。ときには死の世界に妖しく誘い込む負の存在であり、あるいは天使であり、あるいは「本当に18歳のゲイブ」であるような……。複雑で謎に満ちた小西さんのゲイブが、日本版N2Nにさらに陰影を与え、奥深いものとした。

ブロードウェイで見た印象は父親ダンはもちろんダイアナを愛してはいるんだろうけれど、もう少しドライなところがある(表面上がよければいい、的な)人に見えたのだけれど、日本版は岸祐二さんの持ち味か、あるいは日本語で演じているせいか、もっと誠実でダイアナに真剣に向かい合っているように感じた。だからこそ、ダイアナが去った後、今まで目をそむけていたゲイブの存在に初めて向かい合う(=家族の死ときちんと向かい合う)瞬間は非常に感動的だ。(ちなみに、この最後の場面以外は、ダンはゲイブと目が合いそうになるとわざと目をそむける演技をしている。これはブロードウェイ版公演時からあった演出、とブロードウェイ版を7回見てる人からうかがった)

ドクター・マッデンの新納慎也さん。患者を快方へ向かわせようとする医者としての信念がきちんと伝わってくる(決していい加減に治療法を選んでいない)演技。職業的な冷静さだけでなく、彼なりの誠実さや病人に対する思いがあるからこそ、「では、この精神治療は正しいのか?」という問題提起が明らかになったと思う。ダイアナの幻想の中でのロックスターぶり(笑)は迫力があって、この作品の中のよきアクセントに。

作品の終幕。N2Nの終わり方は決してはっきりとした答えが出ているものではない。でも「普通じゃなくてもいい、普通の隣くらいで」というあえてあいまいにした決着の付け方が実にあたたかく、未来への光を感じさせるところがとてもいい。

この作品が日本で見られてよかった。そして今回ばかりでなく、ぜひまた上演してくれることを望んでいる。

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