« おおのの「交響曲 月に吠える」拝見しました | トップページ | 遅ればせながら、お知らせなど »

2012/09/09

「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」を2階席から見る

ヘドウィグが好きなのです、私は。
どこがどうとはうまく言えないけれど、きれいで尊大で、そして自分の片割れを求めてやまない切なさを持っている彼に非常に惹かれます。
ということで、このブログでヘドウィグについて書いたもののをもう一度まとめたら…結構いっぱい見てますね、さすがに。

「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」7月16日 三上博史さん主演版
http://kaoru-web.air-nifty.com/blog/2005/07/post_70d1.html

「ヘドウィグ」(韓国・ソウル・大学路ライブ劇場)オ・マンソクさん主演版
http://kaoru-web.air-nifty.com/blog/2005/05/post_a4ed.html

以下の三つは、ジョン・キャメロン・ミッチェルがヘドウィグ役としてゲスト出演した韓国の「ヘドウィグコンサート」についてのブログ↓
韓国・Hedwig コンサートから帰って
http://kaoru-web.air-nifty.com/blog/2007/06/hedwig_9d36.html

韓国のヘドウィグコンサート最終日!
http://kaoru-web.air-nifty.com/blog/2007/05/post_bc20.html

韓国のヘドウィグ・コンサートwithジョン・キャメロン・ミッチェル見てきました!
http://kaoru-web.air-nifty.com/blog/2007/05/post_13c1.html

山本耕史さんとスズカツさんによる『ヘドウィグ』を見る
http://kaoru-web.air-nifty.com/blog/2007/02/post_544d.html

韓国版『ヘドウィグ』 キム・ジェウクさん主演版&チョ・ジョンソクさん主演版
http://kaoru-web.air-nifty.com/blog/2011/06/post-aa57.html

ブログには書いてませんが、三上博史さん版の再演、山本耕史さん版の再演、ジョンが出た山本さんのコンサート版も見てます。それぞれにすごかったけど、やっぱりジョンのヘドウィグが見られたことは自分の中でも大きかったですね。

そして、森山未來さん主演版の「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」を見てまいりました。
スタンディングの自信がなかったため、2階指定席で。森山ヘドからは「アナタたち、いつもそうやって人を見下ろしてるわけ? 高みの見物をしてればいいのよ!」と言われた(笑)席です。たしかに全体を俯瞰してみると、なんだかヘドウィグの映画版に出てくる、ヘドのライブにわけもわからず行ってしまった田舎のおばあちゃんみたいな感覚にちょっとなりますね(笑)。

内容としてはかなり大胆に翻案し、舞台の設定を日本の近未来に変えてあります。原発事故で立ち入り禁止になった区域の壁の中に、流れ者や犯罪者が集まるスラムができ上がって、ヘドウィグは立ち入り禁止区域内に生まれた子供、という設定です。

急に話が変わりますが。
私は1989年にシベリア鉄道横断→ヨーロッパ横断という旅行をして、ベルリンの壁崩壊直前の東西ベルリンにも行きました。最初東ベルリンから入ったのですが、東側はベルリンの壁の30メートル以内にさえ市民は近づくことができません。しかも、壁を背にして銃を構えた兵士がこっちに向かって立ってるんですよね…。そして、壁の向こう側からは西ベルリンでやっている野外コンサートの音楽が聞こえてくるという、もうなんともいえない体験をしました。音も鳥も自由に飛んでくるのに、決してそれを超えられない東側の人の気持ちを思うと…。で、その後西側に地下鉄で移動して(ベルリンの壁、旅行者は地下鉄で超えられるのです)今度は西側のベルリンの壁に。たくさん落書きしてある中の一つに「あなたたちの心の壁がなくなれば、この壁もなくなる」という落書きがあって、そのときは「本当にそうだな」と思ったのですが…。

実際、ベルリンの壁がなくなった今も、私たちの心の壁はまったくなくなってもいないことに気付くのです。

そう、だから、ヘドウィグが「I'M A NEW BERLIN WALL」(私は新しいベルリンの壁)と言っているのは、まさにこの意味かと思います。人と人との心の超えられない壁があっても、どうしても自分の片割れを求めざるを得ない人間の存在の悲しみ、それが「新しいベルリンの壁」であるヘドウィグの存在自体が象徴しているのではないかと。


余談が長くなりましたが、ベルリンの壁設定と、今回の舞台版の自分たちが選んで入っていった壁とは意味合いが違うと思うのですよね。
もちろん、(私みたいにリアルにベルリンの壁体験してる人もそんなにいないかもしれませんが)ベルリンの壁がリアルでない世代の人たちにとっては、もっと身近に思える設定にしたい、という気持ちもわかるのですが。この設定を変えながらも、元のストーリーラインに従って話が進むので、うまくかみ合わない部分があることが気になりました。
まあ、このあたりは作品の受け止め方で、私と、森山さんや演出の大根仁さんとは作品に対する解釈が違うということなのかな、とも思いますが…。
(イツァークとヘドウィグの関係性も、今回上演版と元のバージョンとは違いますが、今回のはよく読み取れなかった)

ただ、森山さんのパフォーマンスはとても迫力があり、(私が思う)ヘドウィグのエッセンスにあふれていたものだと思います。私が韓国で見た「ヘドウィグ・コンサート」でのジョン・キャメロン・ミッチェルのヘドウィグに通じるパワーを感じましたね。
ヘドウィグと一体化したパフォーマンスには非常に感動したのも確かなのです。

ちなみに演じ方としてジョンから一番遠かったヘドウィグは、キム・ジェウクだったと思います。でも、演じ方は違ってもヘドウィグのエッセンスをすごく感じられたのも不思議。それほどに、幅が広い作品だともいえるのでしょうね。オフブロードウェ上演時はヘドウィグを女性が演じてるバージョンもあったということなので。

ともあれ、ヘドウィグの生き方を体現したい、そして、想いを客席と共有したい、という気持ちは痛いほどに伝わってきた、森山ヘドウィグでした。

|

« おおのの「交響曲 月に吠える」拝見しました | トップページ | 遅ればせながら、お知らせなど »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/34077/55618423

この記事へのトラックバック一覧です: 「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」を2階席から見る:

« おおのの「交響曲 月に吠える」拝見しました | トップページ | 遅ればせながら、お知らせなど »