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2011/09/25

必然性がある二人ミュージカル「スリル・ミー」

「スリル・ミー」
「私」田代万里生さん・「彼」新納慎也さんの回を観劇しました。

1924年に実際に起きた事件をモデルに、「私」と「彼」の二人がなぜ少年を誘拐し殺人することになったかを描く二人ミュージカル。

劇場はアトリエフォンテーヌ。階段を地下に向かって深く深く降りていく。その歩みは、そのまま「私」と「彼」の内面を深く追い求める、私たち観客自身とも重なっているようだ。
120人ほどで満員になる劇場はびっしり。私たちは息をつめて緊迫した舞台を見つめることになる。

(以下、結末部分に触れる内容なので、これからご覧になる方はご注意下さい)

何がスリルなのか。
それは、二人がお互いを求める関係が「スリル」なのだろう。
追い求める、あるいは、支配し支配される関係。
演出の栗山民也さんは二人の関係性を視覚的にも印象付ける。途中で気付いたのだが、上の位置にいる人が、そのとき相手より優位にいるという形になっているのだ。
一見すると「彼」が支配的なように見えるかもしれないけれど、「彼」と「私」の支配被支配の関係は、ときによって変わる。

(シンプルな舞台装置のように見えるが、実はステージ上の真ん中や外周部が一段低くなっている。これは、上記した「上下関係」を装置の配置によっても見せるためだろう。演出も美術も、この作品を表現するために非常に繊細に取り組んでいることがよく分かる)

「私」が「(犯罪の証拠となる)眼鏡をなくした」と言っているときの位置関係(「彼」はタイプライターを打つため座っていて、「私」より下にいる)が、作品の中で一つのポイントとなってくるだろう。
ここで、「私」が優位に立ったことに気づかずにいる「彼」。そして、一見普通に話しながら「彼」を支配したという喜びを密かに内面に持つ「私」……。
この二人の関係の転換がまさにスリル。もうひとつ言うならば、このポイントを的確に演じた田代さんの演技にも脱帽である。54歳の「私」と回想の19歳の「私」を演じたが、「役の心で生きる」ことが舞台上でできていたのではないだろうか。おそらく「私」が田代さんにとってのターニングポイントになるだろう。

もうひとつのポイントとなる場面は、ラスト近くの場面。護送車に乗った二人は、初めて同じ高さで向かい合うことになる。支配・被支配の関係を超えて、初めてここで二人が向かい合うのだ。
冒頭からずっと、「彼」の心の内にあるものは何だろうか……と追い続けながら見てきた。決して「彼」の内面を理解できたわけではないけれど、でも、この護送車のシーンで、初めて「彼」の持つ柔らかい部分に触れられた気がして、とても心動かされた。

新納さんは支配的で内面を見せない「彼」の些細な心の揺れの部分も的確に描き出してくれた。美しすぎるところも役にピッタリ(子供を誘拐する場面の、恐ろしいほどの美しさは忘れがたい)で、新納さんは新たな当たり役を得たのだと思う。


二人の心にあったものは何だったのか…。支配被支配、あるいは共依存?
帰り道も、家に帰ってからも、つらつらと考えを巡らせる。
彼らの姿はあるべき愛の形でももちろんないけれど。一方が一方を激しく求めることを愛というならば、この二人の関係も愛なのかもしれない。

そして、この作品は二人ミュージカルだけれど、実際の(モデルの二人がどうだったかはわからないけど、この作品で描かれている)彼ら自身もお互いの姿しか見えてなかったのだろう。周りに家族や友人や多くの人がいたとしても。
もし、他の人のことに目が向けられていたら、おそらくこんな犯罪は犯さなかっただろうし、一人でなく二人だったからこそ二人は罪に走ってしまったんだろう。
そう思うと、なんだか彼ら二人が可哀想でならない。また、「お互いしか見えなかった二人」を描くためには、この作品は他の登場人物のない「二人ミュージカル」でなければいけなかったのだろう。そういう意味では、とても必然性のある「二人ミュージカル」だといえよう。


緊密な舞台だった。
音楽は繊細な響きがある。惜しむらくは、ややピアノの音がくぐもって聞こえた(演奏のせいでなくて)ところか。
きっと、演じ手によっても、自分の体調などによっても、受け止めるものは変わってきそうだ。
松下洸平さん・柿澤勇人さん版も見る予定なので、そこで何を受け止めることができるのかが、楽しみ。来年の7月には銀河劇場での再演が決定している(配役は未発表)。

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2011/09/18

花組芝居「聖ひばり御殿」稽古場へ

花組芝居の稽古場に伺いました。
次回公演「聖ひばり御殿」パンフレット用の対談の取材。どなたとどなたかはパンフレットをご覧になってのお楽しみということで。いつも思うのだけれど、花組芝居のパンフレットの対談相手の人選って、その公演にリンクし、かつ花組に御縁のある方を選ばれてるなぁ~と。今回もまさにドンピシャ! な方でした。話は盛り上がってとどまることを知らず、とても興味深いお話が伺えました。

引き続いて「聖ひばり御殿」稽古場にお邪魔しました。
救国の志士ジャンヌ・ダルクの生涯を昭和の歌姫美空ひばりの楽曲に載せて描く異色の音楽劇。
私は16年前の初演も拝見してます。懐かしさと意外な新鮮さがいりまじる稽古でした。

この日は序盤の場面の稽古。皆さんが三々五々ゆるゆる~と準備している中、自然とその場面の立ち位置に皆さんが揃い、自然と稽古が始まっていくんですね(誰かが号令かけるなんてこともなく)。その姿にちょっと感動したりして。
配役を発表していないので、具体的なことを書けないのがもどかしいのですが。
前回聞いたことがある台詞に前回とは違う設定!? 2011年版の「聖ひばり御殿」がどうなるのか、早く全貌が見たいです。

この日は加納さんが直接演じて見せるという場面が多かったようです。特に女形さんには細かい部分まで所作をつけてらっしゃいました。
加納さんが「○○の小道具ってあったっけ…?」というと、役者の皆さんが即座に動いて、その小道具を(以前の小道具を倉庫から持ってきたりして)すぐに用意して稽古を進めていくんですね。それでさらに芝居が広がっていく。役者さんたちにとっては当たり前のことなのかもしれませんが、長年一緒にやってきてる劇団の人たちってすごいなぁ…と改めて感心します。

私が稽古場にいたのは2時間くらい。でも、実際に演じている場面としては数分のことなんですよね。役者さんの演技を見て、加納さんが演出をつけ、役者さんがそれを自分のものにして膨らませる。果てしなく根気がいる細密な作業が繰り返され、いつしか、大胆なうねりになって一本の筋が通っていく。繊細で大胆な芝居作りの一端を垣間見させていただきました。

あっ、歌う場面もたくさんあるみたいですよ~(対談取材している間、皆さんの歌稽古の声が響いてきてました)。そのあたりもお楽しみに。
余談ですが、途中でつつっと寄って来て「コーヒー飲みます?」と言ってくれた堀越涼さん、ありがとう(笑)。お心遣いが女形の嗜み?

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2011/09/17

ミズさんからミワさんへ

長時間の取材物が続いていた、ここ数日。
一昨日はFCの会報誌取材で水夏希さんと。
「よろしくお願いします~」と向かい合ってすぐ、水さん「それってモネ…?」
「?」と思うと、私が持ってた書類ホルダーのことでした。モネ展で買ったホルダーを持ってたんです(このブログに全然書いてないですが、私は結構美術好きで、都内のメジャーな美術展は大体行ってる)。
睡蓮を再現した庭があるんですって、などと教えていただいて、ひとしきり美術話に盛り上がったあと(お詳しいんですね)、本題に。
取材としては結構長時間だったのですが、体感時間としてはあっという間。スパッと話されるのがいつも気持ちいい方です。直接話を聞いているのは私だけれど、私の後ろにいる大勢のファンの方に対して話してるという意識をお持ちだから、とても率直に話されてるんだな、というのを感じます。今回は特に、水さんの向上心に刺激を受けました。(自分ももうちょっと頑張らんとイカン…と思います。ホント)
夏のライブの話から今後のことまでいろいろ伺ってきました。「前回の会報が評判良かったんですよ」とさりげなくプレッシャー(?)をいただきつつ(笑)。
会員の方に読んでいただくのはちょっと先になりますが、読める方はお楽しみにお待ち下さいませ。

で、取材後は、秋恒例の「美輪明宏音楽会<愛>」へ。
舞台美術はもとより、客席の隅々まで美輪さんの美意識がつまっている舞台。ロビーから客席まで、床は全部ロココ調の赤に張り替えてあるんですよ! 壁には豪華なお花のタペストリーが。「劇場は非日常のもの」というお考えから客席を含めて劇場空間をすべて徹底して飾っているそうです。
美輪さんの歌は、単なる歌じゃなくて、一曲一曲が一つのドラマ。「老女優は過ぎゆく」はまさにそう。母の愛を歌う「ヨイトマケの歌」では、自然と涙がこぼれました。
トークは毒舌ですが、美輪さんも言葉に嘘がない方だなーと思います。
アンコールは「花」。慈愛に満ちた歌声でした。

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2011/09/07

「ロミオ&ジュリエット」ゲネプロ

「ロミオ&ジュリエット」ゲネプロ拝見しました。
終了後のご挨拶で城田優さんが「ブログに書いて下さい(笑)」とおっしゃってたので、珍しく早出しで書いてみます。

フランス版を韓国まで見に行き(そのときのブログはコチラ)大好きになり、10年ぶりに宝塚を見に関西まで足を運ばせた(宝塚星組版を見たときのブログはコチラ)、ジェラール・プレスギュルヴィック作の「ロミジュリ」。ちなみに宝塚版は「ロミオとジュリエット」。今回の公演は「ロミオ&ジュリエット」でタイトルが違う。『エリザベート』が宝塚版と東宝版でかなり違うように、今回も相当違う作品に仕上がっている。

大きな変更点としては、現代とも過去ともつかぬ架空の時代の設定になっていること。具体的には携帯電話(スマホ)やフェイスブックが舞台上に登場。という情報は先に耳に入っていて「携帯電話が登場したら、ロミジュリのすれ違いは成立しないのでは?」とちょっと心配してたのだが、それは「なるほど~」という感じに処理してあって、ロミジュリは違和感なく(?)すれ違っていた(笑)。
携帯電話が出てくるからといって、完全に現代というのでもなく、「ティボルトを殺したロミオを追放」と大公が言ってストーリーが進んで行ったり(現代設定だったら裁判しますよね)、このあたりは現代と過去が混在する不思議なワールドになっているようだ。
この改変は、「ロミジュリ」を過去の物語でなく、今も憎しみの連鎖が続く現代とリンクさせて考えてほしいという演出の小池修一郎さんの意図か?
(涼風真世さんが出てるので、小池さんがかつて『夏の夜の夢』を『PUCK』へと潤色したこともふと思い出した)

また、宝塚版では「死」と「愛」が出てくるが、今回は「死のダンサー」のみに。
宝塚版は、私としては【男性論理の「戦い」「憎しみ」に対して女性論理の「愛」があり、二人の死を契機として、「愛」が勝ち、両家が融和する】物語(当時のブログから引用)という印象を強く持ったのだけれど、今回の公演では、ロミオとジュリエットの愛に話が絞り込まれているかなー、という印象を受けた。

そう感じたのは、城田さんのロミオが非常に良かったせいかも。
まず「僕は怖い」の歌でロミオの揺れ動く内面の表現が非常によく伝わってくる。そして、ジュリエットを知り恋に突っ走っていく様子もまっすぐに思いが伝わってきて。追放を言い渡された後の慟哭の表現も忘れ難い。城田さんは新たな当たり役を得たと感じた。

相手役は新人の昆夏美さん。ゲネに先だって行われた記者会見では、ダブルキャストのフランク莉奈さん共々非常に緊張している面持ちだったのだけれど、舞台が始まったら別人のようにイキイキとしていた。最初の登場の曲「いつか」に初々しい存在感があり、美しい歌声だった。新人だからこその勢いとフレッシュさが、少女ジュリエットが恋することで成長していく様とうまく重なっている。
『MITSUKO』のジュリアンさん抜擢の時も思ったけど、小池さんはよくこんなにぴったりな新人を探してこられるなぁ……と感心する。

ゲネでは開幕前に幕の中から「オオー!」と出演者たちのエールが聞こえてきたりしてほほえましかったのだが(終幕後も幕の中から歓声が聞こえた)、なるほど若者パワーを感じさせる舞台に。
作品の見せ場「世界の王」もロミオ・マーキューシオ・ベンヴォーリオがカッコ良く歌い踊ってくれて、場を盛り上げた。

それプラス実力派の大人出演陣が見事な歌声を聞かせるのが、作品のポイント。
涼風真世さんのジュリエットの母は、宝塚版ではなかった(そして、私が見たフランス版ではなかった、けど、どこかの国バージョンでは入っている?)設定が加わって、さらにドラマチックに。
未来優希さんの乳母は恋するジュリエットを思って歌う歌に優しい思いが溢れ、感動的だった。
フランス版で私が大好きだった大公役。中山昇さんが迫力ある歌声を聞かせてくれて、印象に残る。

振付に関しては、個人的な趣味としては宝塚版の方が好みかな。舞踏会など大勢が出てくる場面では、遠目に見ると「ここが芯」というのがややわかりにくい気がする。上にも書いた「世界の王」は、現代的な雰囲気でカッコ良かった。

ゲネで拝見していて、本番公演では変わっているところもあると思うので、そのあたりはご容赦を。後半に山崎育三郎さんのロミオが見られるのがとても楽しみ。

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2011/09/06

身毒丸

「身毒丸」を見に銀河劇場へ。
武田真治さん、藤原竜也さん版と見てきて、今回は新人・矢野聖人さんの身毒。
義母・撫子は白石加代子さんから大竹しのぶさんへ。

火花と奇妙な人たちがたくさん出てくる冒頭が、猥雑であり美しい。
寺山修司さん・岸田理生さんの戯曲に書いてある、どう考えても現実不可能な家の現れ方や、世界の裏側につながる穴へ飛び込むシーンが、そのまま具現化されていることにも改めて驚かされる。

矢野さん、稽古開始前に取材でお会いしたときよりも格段にやせていてびっくり。
裸になるシーンがあるせいかもしれないけれど、極限まで(肉体的にも、精神的にも)自分を追い詰めて演じてらっしゃるのが伝わる。
とにかく「本気」。でも、その「本気」を舞台で表すためには、どれだけの苦労があったんだろう。
そんなことも感じながら。まっすぐな思いが痛いほどに伝わる身毒だった。

そして、義母・撫子。白石さんがある種グレートマザー的な、土俗的な象徴としての「母」の部分が強かったような印象があるけれど、大竹さんは母というよりも女。
今回の公演はラストシーンが今まで上演されているものとは違うけれど、それは寺山さんの元戯曲に近いアレンジだとか。
義母と息子の禁断を乗り越えた先には、息子の命をも飲み込んでしまう究極の愛があるのか。

今までの身毒丸が「禁断の愛を手に入れて、少年から大人になる」という男性の一種の通過儀礼的な位置づけであったのとは違う。愛しているからこそ相手を食らい尽くしてしまう、女性性への畏怖、オマージュもここにはあるのかもしれない。

余談ですが、数日前「笑っていいとも!」をたまたま見ていたら、「ファンをキュンとさせるコンサートの締めの挨拶」を考えるというコーナーがあって。
そこで、今井翼さんの答えが
「今日はどうもありがとう、次、生まれてくるとしたら、次はあなたのお腹から生まれたい」
というものだった。

この答え、まさしく「身毒丸」の「お母さん、もう一度、僕をにんしんしてください」そのものでびっくり。
ちなみに会場の女性客からは一番不人気な答え。
男性の心の中には、もしかして普遍的にこういう身毒丸的な考え方があるのだろうか。(そして、それはなかなか女性には理解できない……と(笑))

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