« 2010年6月 | トップページ | 2010年8月 »

2010/07/25

スタジオライフ「じゃじゃ馬ならし」見てきました

WishチームとHopeチームのダブルキャストで見てきました。

シェイクスピアの「じゃじゃ馬ならし」の音楽劇化で、実は「じゃじゃ馬ならし」自体見るのは初めて。(「じゃじゃ馬」が劇中劇の「キス・ミー・ケイト」は見てる)あまり大きいプロダクションでやっていた記憶がないのですが、それは、男尊女卑的な印象がある戯曲を上演するのが難しいからなのかな? 今年は蜷川幸雄さん演出のオールメール版もあり、急に「じゃじゃ馬」上演が活発になってますね。
大ざっぱに言うと、じゃじゃ馬のキャタリーナをペトルーチオが飼いならしていくストーリー。女性翻訳家(松岡和子さん)の翻訳で、上演台本・演出も女性の倉田淳さんで、さらに男性が演じるという形で、この戯曲をどう納得がいくものにするのか? というところに興味がありました。

さて、もともとがスライという男の人が見た夢、という形を取っている戯曲で、スタジオライフ版では現代の女性が夢の中で「じゃじゃ馬ならし」をやっているのを見ているという外枠をつけてます。おそらくは、猫おばさん(石飛幸治)が倉田さん自身を投影したものなんでしょうか。売れない女優のリジー(林勇輔)が、「じゃじゃ馬ならし」を見て「何、この女、生意気!」とか突っ込みを入れたりして、お客様の気持ちを代弁している感じ。二人の言葉で、倉田さんがどう「じゃじゃ馬ならし」を解釈していったのか…というのが詳らかになっていきます。

全編通して見た印象としては…、入れ子の箱のように、違うものが何重にも折り重なってできている舞台なんだなあ、と。
倉田さんが解き明かした「じゃじゃ馬」は、一見は男に従っているようでも、それは賢く生きているだけ、キャタリーナは演技をしているのだ…ということで。
「女はこわいのよ」と、冒頭とラストシーンで、大勢の白い衣装の女性たちが声高らかに歌っています。
でも、それを歌っているのが実は女性でなく男性というところに一つのパラドックスがある。
終幕は、女性として高らかに歌った後には、男性に戻った姿で舞台袖に帰っていくところで、ハッとさせられるものがありました。(←後でお伺いしたところ、当たり前ですが、最後に男に戻って帰っていくのも演出であるとのこと)

また、終幕、キャタリーナがペトルーチオに「帽子が似合わない」と言われて、帽子を脱ぎ棄て踏みつけにします。1回目に私が見たときは、猫おばさんがそれを拾ったときの顔の表情に怒りがあふれていて、「演技をしていればいい」といいながら、でも、心のうちでは演技をしなければいけないことに対しての怒りもあるんだな…と気づくのです。

というパラドックスを発見して、「なるほど」と思ったんですが、2回目見たらその場面の演出が変わってました(笑)。
ペトルーチオが帽子を手に取り、もう一度キャタリーナの頭に乗せてやることで、二人の愛情というか共犯的な関係を描いているようです。

ペトルーチオがキャタリーナを一方的に飼いならしているのではなく、ペトルーチオがキャタリーナと深い部分で共通するものがあって、二人で愛情の真剣勝負をしているような関係なのだな、と思えたのも一つの発見でした。

演者によってペトルーチオとキャタリーナの関係性はかなり違って見えて。Wishチームの松本慎也さんは、最後の「愛する人のために従順でいたい」という姿が本質の人のように見えました(本当はじゃじゃ馬じゃないけど、本当の姿を取り戻していく過程を見せているというか)。山本芳樹さんのペトルーチオもどこか深い愛情を感じさせられましたし。一方、Hopeチームの青木隆敏さんは愛を求めても得られないから暴れてしまう女性の心情をとてもリアルに見せていたと思う。ペトルーチオ曽世海司さんはハイテンションのパワーで、シェイクスピアの台詞の迫力を全身で表現していました。

余談かもしれませんが、カーテンコールで青木さんがペトルーチオ曽世さんに対してハイキックの蹴りを入れていて(笑)、「ああ、ただ飼いならされて終わったんじゃないのね、この人…」というのがそこでも実感できたのが、なんだか良かったです。2回目のカーテンコールでは曽世さんが青木さんをお姫様だっこして青木さんがずっと足をバタバタさせながら帰っていったので、二人の愛情ある共犯関係は楽しく?続いてるんだな…と、なんだか納得して帰っていくことができました。

個人的な感想でいえば、「太陽を見て月と言え」と言われてそれに従う演技をするのなんて、自分だったらイヤで耐えられないなあ(笑)、ということになっちゃうのですが、そういう理不尽を受けても、負けずに強く生きていこうよ、という倉田さんの女性に対するメッセージは受け取りました。

音楽劇でオリジナル楽曲。ストーリーを進める歌でなく、マイクを手にして自分の内面を歌うところは、『春のめざめ』のマイク使いを彷彿とさせるものがありますね。
ビアンカの関戸博一さんは女性から見てちょっとムカツク感じ(笑)をうまく出されてたと思います。衣装はお人形さんをイメージしてるんでしょうか? 岩崎大さんの伸びやかさ、山崎康一さん、坂本岳大さんの達者で幅広い演技も印象的です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010/07/22

宝塚星組「ロミオとジュリエット」

宝塚星組「ロミオとジュリエット」見てきました。

昨年2月、ジェラール・プレスグルヴィックによるフランス版の公演を韓国まで見に行って本当に感動した作品でした。あまりに素晴らしくて、幕間に急いで翌日のチケットを買いに走ったくらい(そのときのレビューはコチラ

宝塚を見に関西まで行くのはなんと約10年ぶり(!)。
東京公演がないとのことで、関西まで頑張って足を伸ばしました。

宝塚版で小池修一郎先生による潤色・演出ということで、新演出に対する期待と、フランス版が好きなだけに若干の心配な気持ちを持ちつつ行ったのですが…、いやー、素晴らしかったです。本当に。

フランス版は特殊なタイプのミュージカル(歌う人と踊る人が別、というフランス形式のミュージカル)だったのですが、小池先生の手によって、普遍的なミュージカルとしての魅力を備えた作品に生まれ変わりました。

特に、原作のドラマ部分を効果的に挿入して際立たせたことによって、非常に感動的な作品に仕上がってます。

私がフランス版を見たときは、当時のブログにも書いたとおり「対立と融和を描いた作品かな」かなと思ったのですが、小池先生は「死と愛」をテーマに編み直していらっしゃるのかな、と思います。

端的に言うと、フランス版で出てくる「死」(ロミオとジュリエットを甘美な死の世界に導く存在=フランス版では白塗りっぽい女性が象徴的に演じていた)にプラスして、「愛」という存在を出したということ。宝塚版では、死は男性形、愛は女性形で演じられています。


フランス版との変更点などで印象に残るところをあげると。
(見てから1年以上たってるので、記憶違いがあったらご容赦下さい。あと、上演時によって結構演出が変わっている作品らしいので、私が見てるのと違うバージョンのものもあるはずです)

※ 以下、終幕などに触れているので、これからご覧になる方はご注意下さい※

・上に書いた、「愛」と「死」の存在。

・冒頭の大公の歌に、マーキューシオ、ベンヴォーリオ、ティボルトの歌を加えて、モンタギュー家対キャピュレット家の対立を明確に打ち出した。

・舞踏会の場面。フランス版は、ジュリエットのお母さんがエジプトっぽい衣装でリフトされてノリノリで出てくるのが妙に面白かったんですが、そこは宝塚版はなし。上記の大公の歌もそうですが、ある意味本筋から離れた「遊び」っぽい部分はカットして、ロミオとジュリエットの本筋に集約する演出にしてあるようです。

・フランス版はダンサーと歌う人は別のチームなのですが、宝塚版はメインキャストがかなり踊る演出に変わってます。

・歌詞に、シェイクスピアの原戯曲の台詞を入れて、ストーリー性ドラマ性を持たせるように補っているようです。

・一番大きい変更点は、終幕の演出。
ロミオが死に、ジュリエットが死んで、両家の和解でフランス版は終わりだったのですが、その後に、亡くなったロミオとジュリエットのダンスシーン(おそらくは、死によって愛で結ばれた二人が天国で踊っている意)を加えていること。

これが非常に感動的でした。
実は去年フランス版を見たときに、ロミオとジュリエットが死んだ後が長いな(汗)と感じた記憶があるので。ここで、非常に小池先生が伝えようするとテーマが表現されていたと思います。というか、まさか、ここで泣かされるとは思いませんでした…。


そして、宝塚ならではの利点というか。
もともと、従来の「ロミオとジュリエット」に比べると、フランス版は女性の視点を強く打ち出している作品なのですが、(通常はあまり出てこないロミオの母がクローズアップされていて、ジュリエットの母とロミオの母が二人で歌う場面がある)、
女性劇団の宝塚だからこそ、「女性の視点」が際立って見えたと思うのです。
男性論理の「戦い」「憎しみ」に対して女性論理の「愛」があり、二人の死を契機として、「愛」が勝ち、両家が融和する、というストーリー性は、従来のジュリエットの父、ロミオの父が先に立っている家族関係だと見えてこない、理解しきれない部分がありました。しかし、この宝塚版では、ジュリエットの母、ロミオの母がしっかり出てきているからこそ、最後の両家が和解したのが本当に納得できるのですね。

また、ロミオの柚希礼音さんも素晴らしかったのですが、特に、1幕から2幕への変化、成長の姿をはっきり見せていたのがとてもよかった。
恋する前の少年の姿から、ジュリエットを愛したことによって、2幕冒頭「憎しみを捨てよう、戦いをやめよう」と訴える姿に、非常に説得力がありました。
「愛」という女性論理を得て、「戦いをやめよう」というところまで普遍的に演じられるのは、女性が演じる男役ならではだなと思うし、小池先生の演出の力、そして、柚希さんの演技力の確かさを感じる部分でもありました。


上記のような変更点、プラス、この作品が本来持っている面白さ(魅力的な歌、そして、「世界の王」などのショー的な楽しさ)があいまって、宝塚版は非常に面白い作品に仕上がっていると思います。
普遍的な魅力がある作品に仕上がっているので、宝塚だけでなく他のプロダクションでも上演できそう。

柚希さん以外の出演者も皆さん適材適所。ジュリエットの夢咲ねねさんはとても可愛らしかった。ジュリエットが持ってる愛ゆえの強さの部分もよく出てたと思います。宝塚だと役柄想定年齢よりも若い人が演じることになる場合が多いのですが、なかなか健闘してましたね。ジュリエットの母、音花ゆりさんは色っぽく、ティボルトに対する思いもにじませて、ドラマがありました。、乳母役の白華れみさんはちょっとコミカルで、おおらかな温かみがあって。ティボルトも凰稀かなめさんも初めて見るタイプの役ですが、あらくれて見える中に純情が垣間見えていたのがよかった。
「死」の真風涼帆さんは独特の雰囲気がありますね。「愛」の礼真琴と共に、踊りだけでも表現が豊かで目を引きました。

現在東京公演の予定はないとのことですが、ぜひとも今後再演を繰り返して、宝塚(もしくは日本ミュージカル界の)の財産にしていってほしい作品の一つです。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2010/07/08

大分、間が空いてしまいました

気づいたら、ブログ更新1か月ぶり!

このところは、ミュージカル『エリザベート』『モーツァルト!』とクンツェ・リーヴァイ作品関連の取材が多くて、刺激を受ける日々です。最近のBGMは友人に貸してもらった、韓国版『モーツァルト!』のCD。ジュンスの歌が入ってないのは残念だけど、聞きごたえがあってとても良いですね。

来週、(以前、韓国ソウルまで見に行った)ミュージカル『ロミオとジュリエット』宝塚版を見に行くのを心の励みに、しばらく原稿書きに専念します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2010年6月 | トップページ | 2010年8月 »