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2010/03/23

宦官提督の末裔

江戸あやつり人形の結城座、創立375周年(!)記念の公演。
あやつり人形と人間との共演は不思議な感覚。
中国系シンガポール人の郭宝崑の原作で、フランス人演出家のフレデリック・フィスバックが演出。フィスバックの演出作品は以前「われらヒーロー」を見たことがあります。

開演10分ほど前よりプレトークがあり(私は初めからは見てないんですが)、宦官の時代を借りて閉鎖的なシンガポールの現状を描いている作品、などという説明がありました。ちなみに演出家、美術家の実物がしゃべり、彼らそっくりの人形が動きます。通訳さんの人形も出てきて、面白い。
初めのディレクションがあったせいか、飛躍のある設定の16場の芝居がエモーションを膨らませつつ、すんなりと頭に入ってきました。

近代的なオフィスで働くサラリーマンの男性「だれか」(加納幸和さん)が、夜になると、中国の明の時代の鄭和という宦官で提督の夢を見る…という話。それは「胡蝶の夢」(自分か夢の中の人物か、どちらが実態かわからなくなる)でもあるようです。加納さんは、だれか、でもあり、鄭和、でもある。舞台には加納さんそっくりの人形も登場し、さらにはミニ加納さんも登場して。鄭和や皇帝、他の宦官たちは人形で登場しますが、やがて、加納さんも鄭和を演じます。複雑な入れ子のような構造で、自分の感覚が揺さぶられていきます。

当時の中国では貧しい青年が出世するためには宦官になるしかなかったそうで、自分の何かを売り渡さないと生きていけないという閉塞した状況を、現代社会のサラリーマンと重ねているようです。

何場か進み、「だれか」が上手側に足を投げ出して座る姿が、本当に人形のようでドキリとします。
加納さんが鄭和となって演じている姿からは提督の力強さと、心の内に持つ苦味とが伝わってきます。なんだかいてもたってもいられないような気持ちになるのは、鄭和or「だれか」の閉塞感が実感として伝わってきてるせいでしょうか。歌舞伎の型を生かした大きな演技は、人形芝居の中にうまくはまっていて、見ごたえがありますね。

やがて、朝になり、夢はさめたのか、さめないのか。サラリーマンは自分の荷物を全部整理して、外へ出ていきます。おそらく、会社とか社会という「くびき」からの解放も意味するようです。トラムの客席を通過して上に上って外に出ていくので(トラムは客席がかなり傾斜がある)、上昇していくイメージも感じますが、アフタートークの大久保鷹さんの言葉によると「この後、この人はホームレスになるのかも」とあって、演出意図としてはラストシーンは必ずしも前向きなイメージを持ったものではないそうです。

今書いていてふと気づきましたが、この話が「人形」で演じているというのは、とても象徴的なことですね。
あやつり人形のように私たちの体は実はたくさんの糸で縛られているのかもしれない。しかし、宦官提督が大海原に航海したときのように、心だけは広く解放させることもできるのではないか。舞台上で白い布が広げられただけで、広い海を感じられるような、そんな想像力を持っていれば……。

すみません、フィスバックの想定よりは甘い感想かもしれないですが(汗)、非常に想像力をかきたてられる舞台だったので、人間の精神の力を信じてみたくなりました。

最後に。アフタートークで語られていましたが、この原作はまったくト書きがなく、誰が何をしゃべる、という指定もないものとのこと。「構成・演出 フィスバック」とありますが、フィスバックが学術論文のような原作を解釈し、新たに構成して作った舞台だそうです。

(シアタートラムにて3月20日に観劇。公演は終了していますが、6月にイタリア、クロアチアで上演予定)

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