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2009/08/23

劇団四季『春のめざめ』2度目の観劇

9月5日に終幕が決まってしまったので、慌てて2度目の観劇に向かった『春のめざめ』。

ブロードウェイ2007年版の観劇の感想はコチラ。ブロードウェイ2008年版の短い感想はコチラ
劇団四季版1回目の感想はコチラ
全般的な話は上記参照していただくということで、今回感じたことを。

いや~、芝居は生きてますね。初日が開いてから約3ヶ月、回数を重ねることによって、本当に良いカンパニーになってました。
初回観劇のときに、「前半にもっと衝動がほしい」ということを書いたのですが、「ブチきれそう」の曲でも若い人のパッションがほとばしってるのをひたひたと感じて、「おおっ、変わった!」と思いました。

そして、メルヒオールとモリッツとヴェンドラの物語(あと、ハンシェンくらい?)のように思っていた作品が、男子学生6人全員のキャラがキラキラしてるのが伝わってきて、群像劇的なところも感じられたのも発見でした。一和洋輔さんのハンシェンのクールに大人びた雰囲気を装っているところとか、白瀬英典さんのゲオルグの豊かな歌声と「ブチきれそう」で女教師の胸を歌うときの嬉しそうな(笑)ところとか、加藤迪さんのオットーの「女の子にモテたい」みたいな素朴な男の子らしさとか、伊藤綾祐さんのエルンストのナイーブさとか、きっちり役柄を見せてくれたことで、男の子たちの生きる姿を描く作品の奥深さがより明確になったと思います。

三雲肇さんのモリッツは初見で、結構繊細に作られている印象です。最後の場面ですーっとバックしていくところの、無表情な中に(表情変えられない設定なので)迫る思いを感じて印象的でした。

今回初めて気づいたんですが、この作品中で上着を脱ぐ=何か脱皮するというか、精神的にも脱ぎ捨てる、という意味がありそうですね。メルヒオールが真情を吐露する場面の前に上着を脱いでたり。その中で、(おそらく…私が気づいた範囲で)一度も上着を脱げなかったモリッツに気づいて、切なくなりました。

ハンドマイクを胸から取り出して歌うことによって、内面に隠された気持ちを吐露することを象徴するという演出がされてます。でも、ラストの「パープルサマー」では、皆さんハンドマイクなしで歌ってるのですね。彼らがしてきた経験によって、一歩大人になって前に向かっていけたのだ、というのもハンドマイクなしで表しているのかな…と。

そういう部分まで細やかに、繊細に作られている作品なのだなということも改めて感じたし、心情の部分をしっかりと突き詰めて(勢いだけでなく)演じた劇団四季版も個人的には好きだな、と思います。
(もちろん、Jonathan Groff版も好きだけど!(笑))

そして、やっぱり柿澤勇人さんのメルヒオールは良い! 先日のフジテレビ「どーも☆キニナル」で柿澤さんメインで『春のめざめ』を特集されていたのを見たのですが、人間国宝・清元志寿太夫のひ孫だったのですね。
(確かに「柿澤」さんだ) そういわれてみると、志寿太夫のカンの高い声と通じるものがある…かも……。
何かを求める気持ちがとても強い、内にパッションがあるメルヒオールでした。

9月5日に自由劇場での公演が終わってしまうのは残念ですが、この作品を劇団四季でやったことに意味があると思うし、ぜひまた東京以外ででも『春のめざめ』の世界を広げていってほしいと思います。

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