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2009/01/16

花組芝居『泉鏡花の夜叉ケ池』 初日(長文です)

すべてが終わってカーテンコール。音楽はアップテンポなので楽しそうな終幕なのに、悲しさが胸をついて離れない。「楽しいんだけど悲しい」みたいな変な感情に襲われる。

花組芝居の『泉鏡花の夜叉ケ池』、91年の初演、94年の再演から14年ぶりの再々演。(間には、グローブ座版として同作品の上演があったが、花組版としては14年ぶり)
今回はダブルキャストで、武蔵屋組(水下きよし/堀越涼/桂憲一/山下禎啓)と那河岸屋組(小林大介/二瓶拓也/秋葉陽司/加納幸和)の両初日に行ってきました。


伝説を信じ、そして恋に生きる恋人たち(萩原晃と百合)。夜叉ケ池の主・白雪姫と眷属という妖怪チーム。そして、卑俗な村人たち。という3グループの登場人物に、さらに一線を置いた形の、遠くからやってきた晃の友人、学円。

物語の構造としては、学円が現在は美術館か博物館に展示されている(?らしい)鐘を見に来て、その鐘にまつわる話を回想する…という外枠があります。これは鏡花の戯曲の設定ではなく、脚本・演出の加納幸和さんが新たに付け加えたもの。(ちょっと、ミュージカル『アイーダ』の構造に似てますね。でも、『アイーダ』より花組版のが上演が早いですけど))


なんでこんなに悲しくなるのか…と思うと、それは「物語そのものになった」人の美しい姿に感動するのと、その物語に対してただ呆然と見ているしかない人の姿にシンパシーと切なさを感じるからかなと、後から自己分析してみたのですが。

特に、桂憲一さんの学円を見ていると、なんだか、学円に気持ちが投影してしまうのですよね。
もちろん、世俗のことに目がくらんでいる村人のような生き方はしたくないけれど。
でも、決して、恋人たちのようには生きられない。見てるしかいない悲しさと切なさが、実感として感じられるのです。

劇中の台詞に、萩原晃が「(物語を訪ねて、この村にやってきたけれど)物語そのものになったんだ」という言葉があるけれど、真実の恋に生きる恋人たちはまさに美しい物語そのもので。

元は身近にいたはずの友人(晃)が、純粋であるが故に悲劇となり、そして、手の届かないところにいってしまったような。

物語の純粋さと悲劇性、そして、それを見つめる(見つめなければならない)学円の視線が重なって、透明な悲しさが私のところに押し寄せてきたのかもしれません。

18年前の初演から全バージョン見てますが、こういう感覚は持ってなかった気がするので、これが年を取ったということでしょうか(汗)。
昔はあっけに取られて見ていただけだったのかもしれませんが(笑)、学円も自分にとっては「物語の人」だった気がします、そのときは。

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13日初日の武蔵屋組。
久しぶりに(私が文章部分を担当した)花組芝居5周年のときの『花組芝居写真集』というのを引っ張り出してきて、水下きよしさんが「『夜叉ケ池』再演するときは、また晃やりたいよね」と言ってらしたのを確認して、それが実現しているというところでなかなか感慨深いものがありました。

水下さんの晃はさらに太く、力強く、もっとストレートになった感じがして、とても素敵でしたね。
そして、「茨の道はおぶって通る」と言う晃さんの言葉で、堀越涼さんの百合が「あー、今この瞬間に晃のことが(更に)好きになってるんだな」と感じることができたのが、何か嬉しかった。
百合は一人では生きていけないような、能動的に見えないキャラの人だけれど、でもその中にある秘めたパッションが感じられた一瞬でした。
その一方で、村人には「夜覗いたら白蛇の長いのが巻きついてた」なんて噂されるような、神秘的な女性でもあって。それは白雪姫と対比されて描かれているところで、花組版では、着替えた後の百合さんの帯が、白雪姫と一緒の柄(これは、道成寺の衣装の帯なのかな…多分…不勉強で確定的に書けなくてすみませんが)にしているところでも視覚的に表現されてます。そのあたりの、神秘的な雰囲気も抑え込んだ表現の中に感じられた気がします。(堀越さんは今まではわりとキャピキャピした雰囲気の役をやることが多かったので、これは意外な収穫でした)
(あっ、すごい細かいところだけど、「山また山」というイントネーションが好き(笑)! 山が本当に見えるような感じで)

そして、上に書いた学円シンパシー説(?)は、もっぱら桂さんの学円に負うところが大きいかも。個人的には学円というと、初演、再演でやった佐藤誓さんの好演が非常にインパクトが強くて、それを乗り越えられるか?が個人的観劇のキーポイントだったのですが、あっさり乗り越えさせてもらいました。『泉鏡花の草迷宮』のお坊さんを演じられた経験も生きてるのかな? 作品中にあるべき立ち位置(「見る者」、能でいうワキ)がきちんとしていながら、桂さんが役に吹き込んだ息吹が感じられて、私はとても好きでした。

それと、晃と学円の関係性がうまく表れているのですね。台詞がきちんと放物線を描いて相手のところに落ちていっているのが見えるようなやりとりで、これはお二人が今まで一緒にやってきた回数の多さにもよるのかもしれないけれど、それがとても気持ちよかったのです。

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那河岸屋組は、初日(12日)に見た感じでは、前半より、後半に見ごたえを感じました。小林大介さんもパワーがある方なのだと思います。ゲストの伝吉が出てきたときに、スパッと芝居の世界に引き戻してくれました。今回初の大役で百合に挑戦している二瓶拓也さん。可憐な雰囲気が出ているのがいいですね。秋葉さんも芝居をきちんと仕上げてくる方だなあと思います。余談ですが、梨剥きがお上手そうと見た。
3人であの時間の台詞劇を見せるのは、相当難しいことですよね。(私自身、初演のときはぼーぜんとして見ていた記憶があります…(苦笑))そのへんは公演を重ねるごとに、どんどん深くなっていきそうで、期待しています。

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円形劇場から、サーカスをイメージしたという、POPな夜叉ケ池の妖怪たち。その発想の飛躍具合が花組版の面目躍如というところで。
初演からの白雪姫の出で立ちは、原作とは離れた、頭に角が生えてて、顔が隈取の見た目コワイお姫様でした。今回は、白雪姫もダブルキャストになるのに合わせて、武蔵屋組の山下禎啓さんは従来の形で、そして、那河岸屋組の加納さんはどちらかというと原作のト書きに近いようなお姫様のスタイルで、と変えています。
加納さんの白雪姫は綺麗でしたね~。今の加納さんなら、この美しい白雪姫だな、というのがなんとなく納得できます。客席をつかんで離さず振り回しちゃう(笑)パワーと、キュートな茶目っ気。そして、「恋のために命は捨てない」という一途な姿が非常に魅力的です。
山下さんの姫は、加納さんよりはもうちょっとほっこりしてる感じ? 夜叉ケ池の場の最後で踊る姿が素敵です。カーテンコールで最後にご挨拶している姿を見て、これもまたなかなかに感慨深いものがありました。

谷山知宏さんはアドリブも交えつつの万年姥で目を惹きます。可愛らしい姥でした。初演からずっと持ち役の大蟹の大井靖彦さんは、眷属グループのテンションをうまく引っ張っていってますよね。お若いです。鯉七の美斉津さんの"大滅亡"(天井桟敷でやっていたという、のた打ち回る動き)が本当にイキが良くてびっくりしました。

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泉鏡花の話をこれだけ飛躍させて、でも本質により近づいているというのは得がたい舞台だと思います。
しみじみ振り返ると、私はこの作品が形作っている空気、そしてそこにある思いが好きなんだなあと思います。

初日のゲストで与十をやっていた原川浩明さんが、アドリブで「ここからこっち(ステージ側)は非現実で、そっち(客席側)は現実。そっちからこっちは触れないんだよーん」みたいなことを(ギャグとして)言ってたのですが、いみじくも、それがこの舞台の構造を表していたような気もします。偶然でしょうけど。舞台で繰り広げられる晃と百合、白雪姫の「物語」が美しければ美しいほど、眷属たちが繰り広げる祝祭が華やかであればあるほど、見る者の思いは学円と重なり、決して物語にはなれない切なさは増していくような、そんな気がしています。

花組芝居 『泉鏡花の夜叉ケ池』
公演日程:青山円形劇場 1月12日~22日・伊丹AIホール 1月30日・31日

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