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2007/08/01

Studio Life『孤児のミューズたち』

両国シアターXにスタジオライフの『孤児のミューズたち』を見に行ってきました。ダブルキャストのうち、abriチーム。もう一チームはこれから見ますが、またそのとき書けたら…と思います(注記・8/8 このエントリの最後にborneチームについて付け加えました)。(公演は8月5日まで)
ということで雑感……の割には長い(汗)。

海外の優秀戯曲を取り上げるというThe Other Lifeシリーズ。今回は、映画化もされている『LILIES』に続いて、マルク・ブシャール戯曲を取り上げています。母親が男性と出奔し、父親が自爆的な戦死を遂げたあとに残された孤児たち。女性3人、男性一人のきょうだいたちの物語です。孤児…というタイトルなので、子供たちが主役なのかと思いきや、長女35歳~末っ子27歳までの大人たちの話なのですね。

普通の家庭でなく、いびつな形になってしまった家族たちの物語。長女カトリーヌ(坂本岳大)と知恵遅れの末っ子イイザベル(林勇輔)が住む家に、久々に長男のリュック(岩崎大)が帰ってきたところから舞台は始まります。リュックが死んだ、という電話をもらって、しばらく家に寄り付かなかった次女マルティーヌ(石飛幸治)が帰ってきます。しかし、リュックが死んだ、というのはイザベルの作り話。
母親はイザベルが小さいときに男性と出奔してしまったのですが、イザベルの事を慮って、「母親は死んだ」ということにしていました。しかし、イザベルは「母親から『帰ってくる』」という電話を受けた、というのです……。

それぞれの思いや憤り、母親に対する思いが噴出し…ある大団円を迎えます。

(書いていたら長くなってしまった(^^;ゞ。折りたたみます)

個人的には、作・演出の倉田淳さんが海外戯曲を演出しているときが(Lifeの舞台の中では)一番好きかもしれません。今回は家族がテーマで、同じ劇団という擬似家族的な関係を持つ人たちが演じるのがピッタリな作品だなあと思います。
気持ちの機微を限界まであからさまにしてみせる倉田さんの技は見事だと思う。

『LILIES』は囚人たちが過去を演じるというのが大きい設定ですが、今回もリュックの書いた小説を演じる、という形で、きょうだいたちが母親が出奔していったころのことを演じる(マルティーヌが父親、リュックが母親、というねじれた形で)場面が出てきます。ブシャール的には、この「演じる」ということに意味があるのでしょうかね。自分たちの内面をあからさまにするためには、もう一度再現し、演じる……という過程が必要、ということなのかな。

個人的に印象に残るシーンは。上記の再現が終わって、二人残されたマルティーヌとイザベルが激しく感情を激昂させた後、暗転して翌朝になり……、普通に会話している場面。気持ちをぶつけあった後、何時間か後に心を通わせるような話ができるのは姉妹、家族ならではだなあ…と、不思議に胸を打つシーンです。

【ここから先、結末部分の解釈などに触れているので、未見の方はご注意下さい】

舞台を見る前に出版されている戯曲を読んでいて、ラストが意味するものがよく理解できませんでした。最後にイザベルとマルティーヌは家を出ていきますが、この家族は崩壊しているのか、それとも再生しているのか……、よくわからなかった。どっちの解釈も成立するかな、と思ったのです。

そして、実際に舞台を見てみて。倉田さんが描き出した舞台は、明確に「再生」を表していたと思います。それはカーテンコールの最後にくっつけた(原作戯曲にはない)赤ちゃんを抱えたイザベルを囲む3人の姉兄の姿も「再生」を表していたんでないかと思う。
終演後に倉田淳さんと少しお話させていただいたときに、「これは家族の再生の物語なのですね」という話をしたら「そう。痛みなくして再生はないんですよ」ということをおっしゃってまして。
劇中の台詞には「解放」とか(イザベルの)「復讐、仕返し」という言葉が出てきますが。イザベルが仕掛けたことは、形としては復讐であり、イザベルが家を出ていく姿も、ある種の解放であるとしても、それは、新しい形での家族の再生であるのだと。
お互いに痛みを受け入れることで、今までの関係は終りを迎え、このきょうだいたちは新たな形での家族関係を作ることができたのだ、と思うのです。

(再生というテーマは、この作品がイースター=キリストの復活祭時期という設定でも、示されていると思います。カトリック的にはキリストの復活というのは、前あったものが甦ることではなく、新たな生命を受ける、という意味。この家族も、新たな生命を受けたのかなあ、と)

Lifeの場合は、そのまま翻訳台本を使うのではなく、倉田さんが上演台本という形で取り上げているので、戯曲の持つテーマがさらに明確になっているのかな…とも思います。

出演者について印象に残るところは、岩崎大さんのリュックが、母親の真似をしてスカートをはいている男の子……というナイーブさをうまく出していたなあと。このチームは舟見和利さんがイザベル役をやる予定だったのですが、体調不良のため降板されてました。代役の林さん(borneチームでのイザベル役)ももちろん好演されていたのですけれど、舟見さんでこの役を見てみたかったなあと思いますし、お体の復調をお祈りします。

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公演は終了しましたが、もう一つのborneチームの感想を少し。
abriチームは再生している家族を強く感じさせたのですが、borneチームは「解放」というイメージを強く受け取りました。解放=成長なんでしょうかね。
劇中、イザベルは「ドアを開けておいて」ということを何度も言います。終幕、そのドアから出ていく、イザベル、そしてマルティーヌ(倉本徹)さんのなんと清清しいことか! 
リアルな息遣いを見せるカトリーヌ役楢原秀佳さんと共に、芝居をとても緊密なものにしていました。

テイストが違う芝居に仕上がって、ダブルキャストならではの醍醐味がある公演でしたね。

それと共に、今回ビックリしたのは、これほど面白い戯曲が日本初上演ということ。倉田さんの戯曲発掘力(?)にも脱帽しましたし、他のプロダクションでもどんどん取り上げられてよい、魅力ある戯曲なんじゃないでしょうか。

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