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2007/01/24

人生ラストに見る芝居って何だろうか?

先週末は初雪が降りましたね。全然つもらない雪は淡くはかなく、美しいです…。
1月19日は母の命日で、私の仕事が重なってしまい週末にお墓参りに行ってきました。(本来は命日より前にやるものらしいですが……ちょっと勘弁してもらいました)
もう4年もたってしまったのだなあ……と思うと信じられないし、まあ、時間がたっても悲しみは変わらないです。悲しみに耐える術は身につけられますけどね。

先日、鹿賀丈史さんご出演がファイナル公演となる『ジキル&ハイド』の取材に伺ってきました(鹿賀さんはダンディで、丁寧に話してくださる素敵な方でした)。
仕事はもちろん仕事として常と変わらぬ気持ちで務めましたが、個人的にはとても感慨深いものがあり……。というのは、この公演の2001年初演を見たのが、母と観劇した最後の舞台だったから。以前ブロードウェイで一緒に見て、日本でやるから見に行こうよ…という話になったのだと思います。
(最後に見た舞台って三谷幸喜さんの「グッドニュース・バッドタイミング」かなあと思ってたのですが、後で手帳を調べたら「ジキハイ」であることが判明)
実はこの公演のあとに母に頼まれたり、一緒に見ようとして買ったりしてた舞台もあったのですが、12月に病気が再発してしまったので、それらのチケットは使わずじまいになってしまいました。
だから、ときどき思うのですが、「自分が最後に見る舞台って何だろうな…?」と。多分、それを見てるときは「これが最後」とは思わずに、通り過ぎた後で「ああ、あれが最後だったのか」と思ったりするものなんでしょうね。
自分が生きていく上で、一つ一つを大事にしていかないといけないのだな……とふと思います。

年末に『銀のキス』を拝見しました。ステージが進行したガン患者であるお母さんとの娘とのやりとりを見て、心を揺さぶられるものがあって。自分より年下の、それも男性である林勇輔さんに、なんでこんなに(普遍的な意味で)母親を感じるのだろう……?と思いながら見てました。それは林さんがとても丁寧に、アンという人物の心情をくみ上げていたからでしょうが。林さんはウチの母にはまったく似てませんが、家族に残していったものの温かい手触りを思い出させてくれました。人間は吸血鬼ではないから肉体は永遠には生きられないけど、(この劇中の話で言えば)母や吸血鬼の恋人の思いを娘が受け継ぐことで、人間の命は永遠のものになるのだろうと……改めて感じ取ることがありました。

その伝でいけば、こうやっていろんな出来事をきっかけに思いをめぐらすことで、『トーマの心臓』の中のトーマの詩「人は二度死ぬという 一つは肉体の死 もう一つは人に忘れ去られることによる死……」のように、また母の生命を永遠のものにすることができるのではないかと……(まあ、幻想かもしれませんけど)と思ったりもします。

まあ、『ジキル&ハイド』で母との一番の思い出といえば、ブロードウェイで見たときで。ちょうど(ロックバンド)スキッド・ロウのセバスチャン・バックがジキル&ハイド役をやってたときで、彼はミュージシャンだから歌は上手いけど演技は……まあビミョーな(^^;感じな人でした(スミマセン)。この作品の一番盛り上がるべき場面で、ジキルとハイドの人格が1曲の中で一瞬にして何度も入れ替わるという超絶技巧の演技力&歌唱力を見せる「対決」という歌があるのですが……、見終わった後にずっと、日本に帰ってからも母とは「あれは面白かったよね~」と思い出して笑ってました(←二人とも解釈の方向が間違っている(笑))。楽しい思い出を作ってくれてありがとうって感じでした(^^;>セバスチャンさま。

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