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2006/11/12

花組芝居OFFシアター『相対的浮世絵』

初日の10日に見てきました。昨日が中日で今日はもう千秋楽……(^^;、短い公演期間です。
稽古場で見た感想は下に書きましたので、それ以外のところで。


高校時代の仲間(岬智朗・関守・遠山大介)3人と智朗の妹・亜希。部室で吸ったタバコの火が原因で、遠山と亜希は死んでしまっている。その20年後。遠山と亜希が、智朗と関のところに現れて……。

彼らが待ち合わせしている場所は墓地という設定で、真ん中にグレーの石(見ようによってはお墓っぽくもある、椅子状のもの)が。周りの光る灯篭みたいなのもお墓のイメージかな。
シアターブラッツは黒が基調になった劇場で、客席の壁と舞台の壁がそのまま境目なく続いている。舞台は上手側に登退場口があるのと、もう一つ。下手奥の黒い空間にむかって、通路状のものがあって、その奥からも出入りができる。奥のほうの通路はどうやらあの世に通じているという設定のよう。(ちょっと能の橋懸かりの逆バージョンのようでもある) 奥行きを感じさせるのと共に、客席から舞台、そしてあの世…(?)まで曖昧につながっている感じがして、良いセットだなあと思いました。

で、「曖昧」というのはこの作品の一つの特徴なのかと。遠山と亜希は「僕らはお化けとかじゃない」と言ってるし、でも現世の人間じゃないし。同級生同士の緩い会話もあったりする。
そういう曖昧さがある一方、生死を分けた火事の話になり、その状況での人間の気持ちを突き詰めるところはとてもシビアでもあって。そういう両極端の要素が同居している、不思議な味わいの作品です。

彼岸と此岸。多かれ少なかれ、生きてる私たちが彼岸の人と内面で向き合うときには「こうしておけばよかった……」という思いがつきまとうもので。
この作品の場合は「相手の命を助けられなかった」という極端なものですが。
普通はその思いはなくならずに、胸をチクチクさせたままでいる。
智朗と関は、(自分の持っているものを失うという形で)遠山と亜希をもう一度「助ける」ことができた。
それは、ある意味、遠山と亜希が二人の心の奥にある苦しみを「助ける」ために彼岸から此岸に現れたということでもあるかなと。

最後にある清清しさは、此岸にいる人間にとってのファンタジーなのだなと思いました。

智朗の高荷邦彦さんは感情の揺れをつぶさに描き出してましたね。自分が二人を助けられなかったという思い、や、彼らが現れた戸惑い、お金使い込んじゃうダメダメさ……とか。でも何かそれが妙に憎めない感じもする。リアルでした。
遠山の桂憲一さん。見た目は違うけど、内面は亡くなったときの高校生のまま。というのが良く伝わってきました。高校生の感覚だからこそある、感情のアップダウンがなんだか愛おしいです。稽古場で拝見していたときよりも、舞台での存在感が格段に増していて驚いたのですが、本番強いってことでしょうか?(^^;ゞ
北沢洋さんは関で、人間のずるさとかがハッキリ見える、嫌な感じのヤツ……なんですが、その嫌な感じをかなり有体に見せてくれました(でもブラッツの空間には、演技がちょっと濃いかも?)。その分、最後の行動に移るときに余計ほっとさせられたりして。高校生姿になるときの不良スタイルはとても似合ってました(笑)。

客演のお二人。亜希役の山藤貴子さんは舞台初見です。亜希も遠山と同じく高校生の内面のままなのですが、その役の雰囲気に合ってましたね。ハイソックスが似合ってて(@_@)。遠山と亜希の監視役として彼岸から現れた人、野村の役を演じた井上啓子さん。同級生の4人とは違う異質感で、空間をバシッと引き締めてました。

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